石狩ファイル0031-01(2005年2月5日)
第二次世界大戦後、日本の農業界には大きな変革がありました。「農地改革」と「農業協同組合法の施行」です。農地改革により石狩町の自作農の数は、改革の前後で大きく変化しました(表1)。農業協同組合法を受けては、昭和23(1948)年、石狩町、石狩町花畔(ばんなぐろ)、石狩町生振(おやふる)の3農業協同組合が誕生しました。昭和24(1949)年には、石狩支庁石狩町農業改良相談所が設置され、農業経営改善、農畜産技術改良、生産性の向上等に大きな成果をあげました。また、昭和23年の石狩町農業共済組合の設立により、農業災害の補償も行われるようになりました。
このように農業環境が整う中、畑作・酪農混合経営をもはや維持することが難しくなっていた農民(石狩の農業―戦前編参照)の起死回生策として、石狩町の各地で造田が進められ、昭和30(1955)年までには、それぞれ、以下のような新田が作られたのです。
■南線(みなみせん)地区 | 昭和24年 | 250ha |
■樽川(たるかわ)地区 | 昭和25年 | 356ha |
■志美(しび)地区 | 昭和25年 | 220ha |
■生振地区 | 昭和21年〜27年 | 572ha |
■北生振地区 | 昭和27年〜30年 | 631ha |
これらの造田のようすや、手掘りで用水路を作り上げた農民たちの苦労は、造田記録映画「砂と闘う」によく描かれています。
その後さらに各地区の造田事業は進められ、昭和39(1964)年には、町域の水稲作付面積が3,370haに達しました(表2)。畑と牧草地だった石狩の平野部は、広大な水田となり、道央の穀倉地に生まれ変わったのです。
また、水稲採種事業でも、石狩町は数々の実績をあげて、全道屈指の産地として認められるようになりました。
(石井滋朗)
自作農 | 自作兼小作農 | 小作農 | 合計 | |
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昭和12年 | 196 | 228 | 261 | 685 |
昭和23年 | 592 | 119 | 90 | 801 |
昭和24年 | 昭和28年 | 昭和32年 | 昭和36年 | 昭和39年 | |
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水田面積 | 1087 | 1447 | 2707 | 3310 | 3370 |
(表1、2とも 石狩町誌中2より)
参考文献