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石狩ファイル0094-01(2008年3月25日)

石狩と関わった御雇外国人

いしかりとかかわったおやといがいこくじん


北海道の開発にあたっては様々な分野で御雇外国人が活躍しましたが、そのうち、石狩と関わりを持ったのは次のような人たちでした。

■開拓使教師頭取兼顧問 H・ケプロン(Horace Capron、アメリカ、1804〜1885)
アメリカ農務省の長官であったケプロンは、明治4(1871)年に雇われ、北海道の総合的な開発計画の作成にあたると同時に、開発に必要な人材の人選も行いました。石狩との関りは、札幌〜石狩間の鉄道敷設を構想したと言われています。

■開拓使雇教師 A・G・ワーフィールド(Warfield、アメリカ、生没年不詳)
明治4(1871)年、測量・土木および地質・鉱物に関する技術者として雇用されました。石狩には船で来て、川幅を半英里(800m)と報告しています。

■開拓使雇教師 J・R・ワッソン(James Robert Wasson、アメリカ、1845〜没年不詳)
明治5(1872)年雇用。北海道の西半分の三角測量事業の礎を築きましたが、石狩川の調査、測量にも当たりました。また、札幌〜石狩間鉄道敷設費をケプロンに報告しています。

■開拓使地質学兼鉱山師 B・S・ライマン(Benjamin Smith Lyman、アメリカ、1835〜1920)
明治5(1872)年雇用。全道の地質や有用鉱物などを調査しました。明治7(1874)年6月には、豊平川から石狩川に出て、幌内の炭田を視察、同年10月には、石狩にも一泊しています。

■開拓使雇 L・ボーマー(Louis Boehmer、アメリカ、1854〜1910)
明治4(1871)年、草木培養方として雇用。明治7(1874)年、石狩地方の植物調査にきて、カエデやクワの多いことを報告しています。

■開拓使雇水理工師 J・G・ファンゲント(Johan Godart Van Gendt、オランダ、1833〜1880)
明治12(1879)年、開拓使雇水理工師として雇用。石狩河口改良水理工師長を補佐して、石狩河口を改修し大きな船を出入りさせるための調査、測量を行いました。

■開拓使石狩鮭缶詰所技師 U・S・トリート(Upham Stowers Treat)およびT・スウェット(Trescott Swett、いずれもアメリカ、生没年不詳)
明治10(1877)年に設立された石狩鮭缶詰所の指導のため雇用。

■北海道庁雇工師 C・S・メーク(Charles Scott Meik、イギリス、1853〜1923)
明治20(1887)年、北海道庁に招かれて来道し、石狩を初め全道の港湾新築改良工事のための調査を行いました。石狩での調査は、船舶を停泊させるための石狩河口の改修工事の調査でした。

(石井滋朗)

※U・S・トリート及びT・スウェットについては、別海町教育委員会戸田博史氏のご教示をいただきました。


参考文献


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