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石狩ファイル0138-01(2014年1月15日)

石狩のチョウザメ(歴史編)

いしかりのちょうざめ(れきしへん)


チョウザメは、石狩川と天塩(てしお)川で見られ、アイヌ語で「ユペ」のほか「オンネチェプ」(道東部・老大魚の意)、「カムイチェプ」(神の魚)、「ビシュルカムイ」(鋲をもつ神魚)などと呼ばれていました。和人は、チョウザメの皮を刀の鞘(さや)などに利用し、享保2(1717)年には、幕府が松前藩に命じてチョウザメの皮を献上させたという記録があります。松浦武四郎は、石狩川のチョウザメ(潜竜魚)は、河口から上流の神居古譚(かむいこたん)までよく獲れる、と記しています。

石狩では、江戸時代から鮭の豊漁をもたらす「鮫様」(妙鮫法亀大明神、みょうこうほうきだいみょうじん)として石狩弁天社に祀られており、現在も石狩の漁業関係者により、お祀りが続けられています。石狩ではチョウザメを積極的に捕獲したり、食用に供した記録や伝承が全く残っていません。チョウザメの食べ方が伝わっている天塩川流域とは対照的です。おそらくこれも早くからチョウザメが神格化されていたためだと考えられます。

石狩でチョウザメが「鮫様」となった背景には、「チョウザメは石狩川の主である」という石狩地方のアイヌの伝承にあったのではないかと考えられています。アイヌの伝承が和人の宗教文化に取り入れられるというのは、アイヌと和人が混在していた蝦夷(えぞ)地独特の現象です。

明治時代の札幌では、市場でチョウザメが売買されており、一定の漁獲量はあったものと推測されます。また、明治30年代後半には、ロシア人が生振でチョウザメ漁をしていたという記録もあります。しかし、明治末頃から石狩川のチョウザメ(ミカドチョウザメ)は激減し、絶滅したとされています。現在、石狩川河口付近や沿岸でまれに捕獲されるのは、養殖種のべステルや、海を回遊しているダウリアチョウザメです。ベステルは、美深(びふか)市をはじめ道内各地で養殖されています。

(工藤義衛)


参考文献


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