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厚田ゆかりの著名人 戸田 城聖

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年7月31日更新


戸田 城聖

創価学会第2代会長 (旧厚田村栄誉村民)

本名は戸田甚一。のちに城外と改め、戦後、獄中の体験から城聖と改名しました。明治33年(1900年)2月11日石川県加賀市の漁民の七男として生まれました。 明治35年(1902年)3歳のとき一家は厚田に移居、幼年期を過ごします。厚田では家業の漁業を手伝いました。 病弱でしたが読書好きで成績優秀。独学で小学校準教員の資格を取って教員となり、さらに正教員の免許も取りましたが、雄飛の志をたてて19才で上京。 「なお功ならずんば厚田に帰らず」と、ひたむきな向学心に燃える独立独歩の日々を過ごします。 21歳の時、教育家牧口常三郎(創価学会初代会長)が校長であった学校の訓導となり、牧口常三郎を人生の師とするようになりました。
戸田 城聖の写真
戸田 城聖


以来、教員や私塾経営、出版事業をしながら創価学会の基礎を築き上げていき、昭和26年(1951年)、創価学会第2代会長に就任。昭和18年には戦時中の弾圧投獄の過酷な状況に陥りますが、志はひるむことなく獄中から指揮をとります。生存中に75万世帯の会員達成を宣言し、仏法を根本に平和を築く創価学会の基礎をつくりました。昭和33年死去。
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