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いしかり博物誌/第47回

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年7月31日更新


第47回カナダ先住民のサケ・マス漁

石狩弁天社のお祭りも終わり、石狩川にサケの上る季節となりました。先住民アイヌのいい伝えでは夜空の天の川は、石狩川が空に写ったものだといわれ、その年、サケが豊漁かどうかは天の川を見るとわかると言います。

石狩紅葉山49号遺跡の発掘で、4,000年前、本格的なサケ・マス漁が始まっていたことが明らかにされました。そして使われた仕掛けは、柵(さく)状のフェンスを支柱にセットするか、仕掛けに開口部を設け筌(うけ)などを置くエリや簗(やな)と呼ばれる仕掛けでした。もっとも注目されるのは、この仕掛けが、明治初期までアイヌ民族が行っていたサケ・マス漁の仕掛けとほとんど同じということです。これは過去の調査例からみて偶然の一致ではなく、縄文の技術が各時代を経て明治期まで受け継がれた結果だと考えられます。

ところでシロザケをはじめサケ・マスは冷水の魚と言われ日本海の北部、オホーツク海、ベーリング海、北太平洋など北の海を回遊し、母川(ぼせん)に戻って産卵します。そしてこの沿岸の諸民族の多くは、サケ・マスを主食として生活し、さまざまな文化を生み出しました。

サケ簗(やな)の全体画像
図1:サケ簗の全体

その典型的な民族は、石狩市の姉妹都市キャンベルリバーがある北米北西海岸の先住民です。ここでは、サケ・マスとナッツ類で豊かな生活とトーテムポールなどに代表される文化を生み出しています。この地域でのサケ・マス漁は、河口に石囲いのエリを作るなど、多彩な漁法だったことは知られています。その中のひとつにサケ簗漁というものがあります。これはキャンベルリバーのあるバンクーバー島のカウチャン川というところで行われていたものです。図1がそのサケ簗の全体で、かなり大規模なものです。そして図2は簗に使われた柵上フェンスで、高さ1.4メートルほどあります。これにはシダーという杉の仲間の木が使われ、木と木を留めるのに桜の樹皮が使われています。このサケ簗が使われていた時代は19世紀ころと伝えられ、現在はすでにないようですが、柵上フェンスの作り方は石狩紅葉山49号遺跡のものと瓜(うり)ふたつです。この地方でのサケ・マス漁は、4,000から5,000年前にさかのぼるという説もありますから、代々受け継がれてきたとすれば、その起源が49号遺跡とおなじぐらい古い可能性もあります。

サケ簗(やな)に使われた棚状のフェンスの画像図2:サケ簗に使われた柵状のフェンス
石狩紅葉山49号遺跡の棚の一部の写真
図3:石狩紅葉山49号遺跡の柵の一部

※図1、2:「海と川のインディアン―自然とわざとくらし」(雄山閣出版株式会社)より

(石橋孝夫 広報いしかり2003年9月号掲載)