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いしかり博物誌/第55回

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年7月31日更新


第55回俳句ロードへどうぞ

岩谷小波の句碑「秋の川 幾代の木々も浮はしむ」
岩谷小波の句碑「秋の川 幾代の木々も浮はしむ」

石狩は、江戸末期から戦前まで俳句が盛んな町でした。本町地区には、石狩尚古社(いしかりしょうこしゃ)という俳句の会があり、生振(おやふる)には弥生社(やよいしゃ)という農民を中心とする会がありました。

特に石狩尚古社は、本州から有名な俳人や文人を招いたり、選者を依頼したりするなど、積極的に活動していました。明治35(1902)年に石狩尚古社が刊行した句集には、遠くは沖縄など全国から俳句が寄せられました。石狩尚古社には、町の有力な漁家、商家、官吏など石狩の名士が多く参加していましたが、そのほかに一般の商業者や漁民も参加していました。また、秩父(ちちぶ)事件の幹部で、事件後、石狩に潜伏していた井上伝蔵(いのうえでんぞう)も尚古社の社員でした。

ところで、このたび岩谷小波(いわやさざなみ)の句碑が、いしかり砂丘の風資料館の前に建立されました。句碑は木製で、旧石狩町役場庁舎の梁(はり)を使っています。

小波は、明治から大正時代にかけて日本民話の集成やおとぎ話の創作などを発表し、児童文学の草分けとなった作家です。石狩尚古社と関わりが深く、選者として尚古集にも句を寄せています。この句は、小波から石狩尚古社の中島氏に贈られたもので、秋の石狩川の様子を詠んだものです。川面を流れる木々に太古からの悠久の歴史を重ね合わせて詠んでいるのではないかと思います。
弁天歴史通り
弁天歴史通り

石狩市では、今後も弁天歴史通りを中心に句碑を建てていき、「俳句ロード」にしようと考えています。一度、「俳句ロード」にいらっしゃいませんか?
(工藤義衛 広報いしかり2004年6月号掲載)