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いしかり博物誌/第9回

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年7月31日更新


第9回 石狩の石油王をめざせ!?

かつての石狩油田(昭和初期の絵はがき)の写真

 皆さんは今、ストーブのたかれた暖かい部屋でこれを読んでいるかもしれません。
ストーブの燃料は石油でしょうか。今日の日本で使われる石油はほぼ100%、海外からの輸入に頼っています。
しかし明治後半から昭和前半にかけて、石狩でもかなりの量の石油が採られていたのです。

 石狩川を越えて厚田村に入り、無煙浜の海水浴場に向かう途中、どこからともなく油の臭いがしたことはありませんか? 気のせいではありません。その辺りは「厚田油田」と呼ばれ、かつては小規模ながら採油が行われていました。閉山されても油井は残っていて、現在でも地面に石油が湧き出ている様子を見ることができます。
 石狩地方に石油が出ることがわかったのは江戸時代末期のことでした。石狩役所の役人が海に油が浮いているのを見つけて陸地を調査し、厚田油田や石狩市五ノ沢~八ノ沢の「石狩油田」が発見されたのです。石狩油田は明治36年(1903年)から昭和35年(1960年)まで操業し、当時は北海道の産油量の大半を占めるほどでした。
 石油は、太古のプランクトンの死骸などが海底に大量に降り積もり、長い年月の間に地下の熱や圧力にさらされて変化したものです。だから化石燃料というのです。地下深く潜む石油を見つけるのは簡単ではありません。
 第一の条件は、石油を産み出すようなプランクトンの化石をたくさん含む地層がそばにあることです。しかしそれだけでは油田は見つかりません。石油は液体なので、地中の岩石の隙間を通って、どんどん移動していくのです。

今でも石油が湧いている厚田油田の写真
 また地下水よりも軽いために地表へ浮かんでいこうとするのですが、それを集めるために、ふたをするような隙間のない地層が上にないといけません。これが第二の条件です。厚田油田、石狩油田は、ちょうど条件にあった地域だったのです。
 これらの油田は採算性があまりよくなく、結局すべて閉山してしまいました。しかし、ひょっとしたら未知の油田がまだ残っているかもしれません。一獲千金を狙ってみますか? (志賀健司)