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友好都市交流までの経緯(輪島市)

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年7月31日更新

 

 

友好都市交流までの経緯(輪島市)

 

 これまでの交流の経過としては、江戸時代からニシンの漁場として栄え、北前船による交易も盛んであった旧厚田村に、石川県内から明治の初めころ多数の移住があったというところまで遡ります。このような歴史的な背景を持った旧厚田村が、平成元年11月に旧門前町の呼びかけで、日本海に関わりのある市町村が当面する課題や地域開発の構想を話し合う「第1回日本海・文化交流会議」に参加したことを契機として、旧門前町との交流が始まりました。
 翌年開催の「第2回日本海・文化交流会議」に参加したときに、旧厚田村から旧門前町に対しまして友好町村締結の意向を打診したところ、「日本海・文化交流会議に毎回多数の参加をいただいていることに敬意を表するとともに、友好町村締結の申し入れを検討するため、一度旧厚田村に訪問したい」との返事をいただき、当時の門前町長・門前町議会議長を始めとする訪問団一行が12月に旧厚田村に来訪し、その後、平成3年6月1日に「両町村が教育・文化・産業など広く交流を深め、相携えて発展することを念願し」友好町村締結の調印となりました。
友好町村締結書
 締結後、平成4年度から旧厚田村では毎年、学校間交流事業として、村内の中学2年生全員を『子ども親善大使』として旧門前町に派遣し、合併により廃止するまでに約460名の子ども達が参加をしています。また、平成6年度から合併するまで「門前そばの市」に、平成9年度から現在まで「厚田ふるさとあき味まつり」に自治会関係者や産業団体関係者が相互訪問し、それぞれの地場産品のPRや販売を通して交流を深めてきました。そのほかには、両町村の職員などの視察研修を相互に実施してきました。
子ども親善大使の様子  「厚田ふるさとあき味まつり」で出店する門前町
 災害に対する支援などについては、平成9年1月のナホトカ号の重油流出事故の際や、平成19年3月に輪島市西南西沖を震源として発生したマグニチュード6.9の能登半島地震に対して、義援金などを持ちお見舞いのため訪問しました。輪島市ではこの災害を体験したことによる防災に関する知識や市独自のノウハウを、今回の東日本大震災の際、延べ160名を越える職員を被災地である宮城県名取市に派遣する等の支援活動を展開しています。
義援金の手交
 平成23年11月に市長を始めとする訪問団6人が『能登門前新そばまつり』に訪問した際、輪島市から「これまでの旧厚田村と旧門前町との交流を踏まえ、今後は地域間のみならずお互い市として、防災(災害時支援)協定の締結や今後も継続的な交流を」とのお話をいただき、友好都市提携への機運が一気に高まりました。
輪島市長へ表敬訪問 

友好都市協定の調印 平成24年8月27日(月曜日)

 平成24年8月27日(月曜日)、市役所5階本会議場にて「友好都市提携に関する協定」調印式を行いました。地域の特色を生かしながら産業・経済・教育・文化など各分野の交流をはかることともに、友好親善を深め、両市民の福祉の向上と市勢の発展を念願し、一層の努力をつくすことを誓い合いました。
 友好都市の調印が行われた後には、「災害時における相互応援等に関する協定」の調印も行いました。
協定書に調印している様子  協定書調印後、握手をする両市長
 そのほか、石狩市より北泉窯前野右子氏作「銀砂釉(ぎんしゃゆう花瓶」、輪島市より今回締結しました友好都市提携協定書の輪島塗蒔絵技法により再現した「漆芸額」の目録の交換も行われました。
石狩市からの記念品「銀砂釉花瓶」を手交  輪島市からの記念品「漆芸額」の目録を手交
友好都市提携に関する協定書(PDF形式:123KB)

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