エスチュアリ/Estuary〜いしかり砂丘の風資料館だより〜

No.029 2007年10月15日


■展示資料のひみつ リターンズ

カイダコの卵
採集地石狩浜
採集日2006年10月22日
採集者伊藤静孝さん


ただいま資料館で開催中のテーマ展「アオイガイ/カイダコ」。展示資料の中に、高さ5cmほどの小さいガラス瓶があります。その中でアルコールに漬けて保存されているのは、お米よりも小さい白い粒々。カイダコの卵です。

アオイガイと卵
アオイガイはカイダコのメスが産卵・孵化のためにつくる殻です。秋、日本海側の砂浜に漂着することのあるアオイガイ。ほとんどの殻は空っぽですが、まれに奥のほうに卵が残っていることがあります。そこにいたはずのカイダコは、すでに鳥かキツネに食べられてしまったのでしょう。

2006年10月に見つかった卵を実体顕微鏡で観察すると、これまでに見たものとだいぶ違っていることに気づきました。ただの白い粒ではなく、ひとつひとつの卵に、赤い点、黒い点がいくつもあるのです。より発育が進んだ卵で、眼(2つの赤い点)や墨汁嚢(黒い点)がすでにできているものでした。じーっと見ていると、それらはときどき、ピクッ、ピクッと動いていました! 孵化が近かったのです。

急いで卵を海水に戻しました。が、結局、何がいけなかったのかわかりませんが、卵は1つも孵化せずに死んでしまいました。水温か、塩分か、酸素が足りなかったのか…。もし今年も卵を見つけたら、今度こそ孵化させてみたいものです。◆

(志賀健司 しがけんじ)



■海の歴史

タコブネ暖流

カイダコと呼ばれるタコが作る貝殻、アオイガイ。温暖な南の海から対馬(つしま)暖流に乗って日本海を北上し、時には浜辺に大量に漂着します。同じような殻を持つアオイガイの仲間を「タコブネ類」と呼びます。現在7種知られており、日本近海ではそのうち3種が生息しています。

「殻を持つタコ」というと奇妙に感じますが、もともとタコ・イカの仲間(頭足類)には、オウムガイのように殻を持つものもいますし、先祖をさかのぼれば渦巻形の殻を持つアンモナイトも、やはりタコ・イカの仲間です。そもそも頭足類は貝類(軟体動物類)の1グループ。そう考えると、むき出しのタコやイカのほうが特殊な存在、と思いませんか?

中新世中期〜後期の地形とタコブネ化石の産出地。(黄色い部分が当時の陸地、青色が海。は化石産出地。柳沢1990などから作図。)
そんなタコブネ類、実は化石でも見られます。日本では新生代新第三紀中新世(2400万年前〜530万年前)の地層から、9種のタコブネ化石が知られています。現在の漂着アオイガイと同じように、島根や北陸など、日本海側で特に多く見つかります。これは2000万年前に始まった日本海の誕生(※)と関係があるのでしょう。大陸から日本列島が切り離されて日本海が生まれ、そこに現在の黒潮や対馬暖流に相当する暖流が流れ込み、それに乗ってタコブネが運ばれてきたのでしょう。そんなことからこの暖流は「タコブネ暖流」とも呼ばれます。

しかし1500万年前ごろを境に、タコブネ化石は一部地域を除いて、ほとんど見られなくなりました。その時代、地球全体が急に寒くなったのです。それまで小さかった南極大陸の氷河が、ぐんと大きくなって現在のように南極大陸全体を覆うほどに広がったのです。それがこのときの寒冷化の直接の原因と考えられています。その影響でタコブネ暖流も弱まり、タコブネもやってこなくなったようです。◆

(志賀健司 しがけんじ)

※かつて日本列島はユーラシア大陸の一部でしたが、2000万年前頃から大陸の縁が裂け、切り離されて今のようになりました。エスチュアリNo.15(2002年8月)をご覧ください。


■幻の花壇

弁天歴史通に沿って、資料館前に花壇があります。昨年までは、石狩市の「花いっぱい運動」から分けていただいた花苗を植えていましたが、今年は手付かずのままでした。春先に一度、職員が雑草取りをしたものの、自然の力は逞しく、今夏の暑さにも負けず元気よく伸び放題でした。去年の花のこぼれ種から芽吹き花をつけたもの、ボランティアの方が持って来てくださったマリーゴールドが、ところどころに咲いています。

きれいな場所にもゴミを捨てていくマナー違反はあるものですが、草だらけのところには、それが顕著のようです。犬のフンも落ちています。この道を通って資料館へいらっしゃる方は、どう思われるでしょう?

一念発起して、手入れをしました。(雑草といえども、その一つ一つに名前があり、抜いてしまうには惜しいくらいのかわいらしいものもありました。)きれいになった花壇に何を植えよう、よく見る花では資料館の特色が出ない。海浜植物保護センターから種を分けてもらおうか、明治時代から昭和初期にかけて石狩では蚊取線香の原料となる除虫菊(ダルマチア種)を栽培していたからそれはどうだろうと、空想の花壇には花がいっぱい広がっています。

あっ、でも正直にいうと私、花を育てるのはあまり上手ではありません。来年、独自性のある花壇をご披露できるでしょうか。幻にならなければいいのですが…。◆

(倉雅子 くらまさこ)


■2007年秋〜冬の講座・展示、おしらせ

■連続講座「石狩大学博物学部/専門課程」

今年は専門課程!
と言っても難しくありませんよ。自然や歴史を専門とする学芸員たちが、今回はテーマを得意分野にしぼって、わかりやすくお話しします。昨年の講座を受講していなくてもOK!

・日時  2007年10月6日(土)〜11月24日(土)13:00〜14:40
・場所  石狩市民図書館/視聴覚ホール(石狩市花川北7条1丁目)
・対象  高校生〜大人、各回とも定員40人(先着)
・費用  無料
・申込  各回とも申込受付中。電話で資料館へ。

【1】10月6日(土)
石狩地球科学II/石狩漂着物学 講師:志賀健司(いしかり砂丘の風資料館)
石狩の浜には生物から人工物まで、海流に運ばれていろいろな物が漂着します。そこから見えてくる海の世界を紹介します。また、2005と2006年の秋、道内の日本海側各地でタコがつくる貝「アオイガイ」の大量漂着現象が見られました。その謎に迫ります。

【2】10月20日(土)
石狩考古学II/アイヌ文化への道のり 講師:石橋孝夫(いしかり砂丘の風資料館)
北海道の文化は、縄文、続縄文、擦文などを経てアイヌ文化へとつながっています。とくに、縄文時代の伝統を受け継いだ続縄文時代はアイヌ文化と強い結びつきがあります。例えば紅葉山33号遺跡の弓の文様などがそれです。今回の講座では、こうしたアイヌ文化へとつながる要素について述べます。

【3】11月10日(土)
石狩動植物学/石狩砂丘植物学 講師:内藤華子(石狩浜海浜植物保護センター)
石狩浜には、豊かに植物が茂り花々が彩る、美しい海岸砂丘の風景が広がります。砂丘に育つ植物は、根茎や葉に特徴をもち、厳しい環境に適応しています。美しい花が実を結ぶためには、昆虫の訪花が不可欠です。豊かな植物相、昆虫相は、動物や野鳥の生活を支えます。しかし、砂丘の植生は変化を続け、砂丘の原風景は変わりつつあります。

【4】11月24日(土)
石狩歴史学/石狩改革論 講師:工藤義衛(いしかり砂丘の風資料館)
古文書「石狩御用留」は、「石狩改革」が進められた幕末の石狩の様子を伝える資料です。「石狩改革」により、石狩がどのように変わり、その後の石狩にどのような影響を与えたのか。「石狩御用留」をもとに、見てゆきたいと思います。

■テーマ展「アオイガイ/カイダコ」

アオイガイと呼ばれる貝殻を持つタコ、カイダコ。本来は温帯・熱帯の暖かい海に生息していますが、2005年と2006年、大量に北海道まで漂流してきました。アオイガイの謎に迫る展示です。

・期間 2007年9月15日(土)〜10月28日(日)
・場所 砂丘の風資料館 市民交流ひろば
※資料館の入館料が必要です。

■テーマ展「未来へつなげ!資料館のお宝展」

資料館では、市民のみなさんからいろいろな博物館資料を寄贈していただくことがあります。2007年の1年間にみなさんからいただいた資料を、感謝を込めて一挙公開!

・期間 2007年12月22日〜2008年3月30日
・場所 砂丘の風資料館 市民交流ひろば
※資料館の入館料が必要です。

■野外講座「石狩ビーチコーマーズ/秋の漂着物」

漂着物は海からの手紙。浜辺の漂着物を観察・採集して、海の世界を覗いてみよう!
10月は北西季節風が吹き始め、漂着物が増えてくるシーズン。この秋はギンカクラゲ、ムラサキダコのような、これまで見られなかった暖流系生物も多く見つかっています!

・日時  2007年10月21日(日)9:00〜13:00
・場所  砂丘の風資料館〜石狩浜
・対象  小学4年生〜大人(小学生は保護者同伴で)
・定員  20人(先着順)
・持ち物 長靴、手袋、帽子、防寒着、ビニール袋等
・費用  無料
・申込  10/5(金)〜10/19(金)の間に電話で資料館(0133-62-3711)へ


■送毛(おくりげ)山道の碑

市道毘砂別(びしゃべつ)送毛線のほぼ中間にある標高380mの峠の頂上に石碑が三つ並んでいます。場所は送電線の電柱の根本で市道から見えますのですぐ分かると思います。

ところで、この市道は、安政4年岩内の出稼ぎ人梁川善蔵が鰊漁夫などを私費で雇い切り開いた道が基礎となっている古い道です。幕府は防衛上の必要から蝦夷地の道路網を整備しようと計画します。この道は「送毛山道(おくりげさんどう)」といい、濃昼(ごきびる)山道、増毛山道とともに石狩から増毛へ抜ける重要道路でした。出稼ぎ人が私費で道を開いたのは、幕府には資金が無いため場所請負人の懐をあてにしたためでした。

さて、三つの碑は七曲りと呼ばれる送毛側のつづらおりを見下ろすように建っています。碑文は風化して今は見えなくなっていますが、中央の碑は中央に「山神」そして「需安政四年丁巳歳ハママシケ詰合 吉川昇之進 役記橋逸勇蔵 通行受持 山田久六 留吉 山道切開預所 吉岡村 梁川善蔵 同茂吉 同下預 酉松 久吉 寅吉 五十九人」と書かれています。意味がはっきりしないところもありますが、山道切開預所以下の分部が実際道路開削に携わった人々です。碑にはでていませんが、浜益アイヌの人も雇われ開削に参加しました。また山道開削に先立って、浜益アイヌの長の一人がルート選定に当たっていますから、この道は既にあった浜益アイヌの生活道路をなぞってつけられたと考えられます。もう一つ向かって右の碑は「峯属垳」という文字が刻まれているそうです。三文字は「みね つらなる がけ」の意味ですから山道に関係する碑と推定されます。

なお、向かって左の碑は「正一位稲荷大明神」で鰊豊漁祈願のため建てられたと考えられます。このほかにも毘砂別側に冷水不動尊や金毘羅さんの小祠がありますから、峠付近は豊漁祈願の場所だったと考えられます。◆

(石橋孝夫 いしばしたかお)



■最近の「いしかり博物誌」(市広報に連載中)

第90回:イカのカイ(07年9月号)
第91回:「日の出正宗」のラベル(07年11月号)


■編集後記

昨年、一昨年のアオイガイの大量漂着やヤシの実だけでなく、今年の石狩はムラサキダコや北海道初記録?のギンカクラゲなど、暖流系の生物の漂着がさらに増えています。悔やまれるのが、もっと前からデータを取っていなかったこと。これでは客観的な比較ができません。気候や海洋環境を語るのに2〜3年のデータじゃあ話にならないのです。「地道な積み重ね」って大事だなあ、と、今さらながら痛感しております。(K)


エスチュアリ No.29
2007年10月15日 発行

いしかり砂丘の風資料館
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