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石狩ファイル0032-01(2005年2月5日)

石狩の農業(現代編 昭和40年以降)

いしかりののうぎょう(げんだいへんしょうわ40ねんいこう)


戦後の造田の成功により、広大な水田地帯となった石狩でしたが、昭和40年代に入ると、全国的に米の過剰傾向が強まり、昭和45(1970)年の米の生産調整実施、46年の政府買い入れ制限で、米の出荷量は激減しました(表1)。そのうえ、大規模住宅団地と石狩湾新港の建設決定による土地買収によって、南線(みなみせん)、樽川(たるかわ)、志美(しび)、十線地区の改良区が、昭和46年から50年にかけて解散して、花畔(ばんなぐろ)地域の水田の歴史が閉じられたのです。

このような農業生産基盤の大きな変化を受けて、野菜生産が重視されるようになり、高岡地区で、その土質に適合したニンジン、ダイコン、花畔地区で、スイカ、メロン、イチゴ、アスパラ、生振(おやふる)地区ではタマネギ、ナガイモ、ダイコンなどに取り組み、それぞれ市場での評価を得るようになりました。その後、昭和63(1988)年には、農業情勢の変化と金融自由化への対応のため、石狩町、花畔、生振の3農協が合併し、新生の石狩町農業協同組合が発足しました。

しかし近年では、BSE*1問題に端を発して、食品の偽造表示、輸入農産物の残留農薬問題などで消費者の食品に対する関心が高まる中、WTO*2の農業交渉における外国からの関税引き下げ要求、農家戸数の減少、後継者不足、輸入農産物増加による価格の低迷など農業情勢は非常に厳しいものとなっています。石狩でもこれに呼応して、ミニトマトなど新しい作物のブランド化、新規就農者の受け入れ、クリーン農業の推進など、様々な試みがなされています。

(石井滋朗)

*1  BSE:牛海綿状脳症、いわゆる「狂牛病」。
*2  WTO:世界貿易機関。

表1:水稲作付面積と収穫高の変化
昭和25年昭和30年昭和40年昭和45年昭和50年昭和54年
作付面積(ha)11011884315019609091050
収穫高(t)3232665510600802041405360
(石狩町誌中2より)

表2:平成15年主要作物作付面積と生産高
水稲小麦食用馬鈴薯大根人参豌豆アスパラミニトマト全作物
面積(ha )6987461017986111322246
生産高(百万円)69339818622921912423432213
(JAいしかり取扱分、石狩市農業総合支援センターHPより)


参考文献


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