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石狩ファイル0061-01(2006年3月31日)

石狩の漁業(戦後編)

いしかりのぎょぎょう(せんごへん)


昭和20(1945)年から今日まで、石狩の漁業界には、次のような、大きな問題が起こりました。
1.石狩川でのサケ・マス流し網・刺し網の整理転換、2.石狩川の水質汚染、3.石狩湾新港の建設、4.石狩、浜益、厚田漁業協同組合の合併

1.石狩川でのサケ・マス流し網・刺し網の整理転換
石狩川でのサケ・マス漁(全水揚げ高の30%を占めていた)は、資源保護増殖のため整理されることになり、石狩漁業協同組合は、昭和27(1952)年、「石狩町水産振興3年計画」をたてて、127世帯の漁業者を3年間で定置漁業や流し網漁業に転換させました。

2.石狩川の水質汚染
戦後の開発とともに、汚染された石狩川が「魚のすめない川」となり、流域漁民は、水質回復への運動を行いましたが、昭和38年から40年(1963〜1965)にかけての「水質保全法」「工場廃水規正法」の制定、45年の水質汚濁環境基準の石狩川への適用や企業への一律排水基準の義務づけなどで、水質回復が図られました。

3.石狩湾新港の建設
昭和48(1973)年の石狩湾新港建設着工に先立ち、漁業者との補償交渉が行われ、補償金の支払い(13億9500万円)や移転漁業者のための漁家団地の建設、船だまりの設置などが取り決められました。

4.石狩、浜益、厚田漁業協同組合の合併
平成16(2004)年1月、漁業資源の維持や漁協経営の強化のため、石狩、浜益、厚田漁業協同組合は合併して、「石狩湾漁業協同組合」(平成16年水揚げ高:20億4000万円)となりました。

石狩漁業協同組合の水揚げ高の変遷は下表の通りです(平成16年は石狩支所分)。

(石井滋朗)

昭和35年45年50年55年60年平成2年7年11年16年
水揚高1540131516495851612493608
鮭・鱒274183467346223368
(単位:百万円)
※(鮭・鱒)の欄は水揚げ高のうちサケ・マスのみの数字



参考文献


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