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石狩ファイル0100-02(2012年1月●日)
黄金山
こがねやま
黄金山は浜益区にある富士山に似た形の山です。浜益区では「浜益富士」「黄金富士」とも呼んで、親しまれています。この山は、新生代新第三紀鮮新世(530万年前〜180万年前)にマグマが地表付近に上昇して冷えて固まり、その後、周囲のもろい部分が崩落して今のような姿になったと考えられています。
「黄金山」という名前は文化4年(1807)には、すでにあったことがわかっています。名前の由来は、その昔この付近で金が採掘されていたからだと伝えられています。いうまでもなくこの名は和名で、アイヌ民族はこの山を「ピンネ タイオルシペ」あるいは「タヨロウシヘ」と呼んでいました。意味は「木原にそびえる男山」「水木の多い山」です。浜益のアイヌにとってこの山は特別な山で、儀式の祭壇を設置する場合、この方向に向くように作ったといわれています。和人の手紙にも「霊山」と書かれていますので、特別な山だったと考えられます。
この山は、英雄ユカラ(※)「クトネシリカ(虎杖丸(いたどりまる)の曲)」などに出てくるポイヤウンペの住む「高杯を立たてたような山」の候補の一つとして全国的に有名です。クトネシリカの内容は、山の上の砦に住むポイヤウンペが育ち、石狩河口まで空を飛んで黄金のラッコを捕え、日本海沿岸のアイヌや海の向こうの民族と戦った末、美しい娘と結婚するといったもので、壮大なスケールの物語です。話の筋立てなどから、この物語は柏木、川下、毘砂別付近で生まれたと考えられています。
(石橋孝夫)
※かつては「ユーカラ」と表記されましたが、近年「ユカラ」とすることが多い。
参考文献
- 金田一京助(1936)アイヌ叙事詩ユーカラ 金田一京助採集並ニ訳.岩波文庫.
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いしかり砂丘の風資料館