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石狩ファイル0133-01(2013年9月1日)

宝珠山金龍寺

ほうじゅさんきんりゅうじ


宝珠山金龍寺

所在地石狩市新町4番地
宗派日蓮宗
本尊じっかいみぞうだいまんだら
十戒未曾有大曼荼羅
創立安政6(1859)年

金龍寺は、京都の公家外山家の出である外山貞妙師が、安政6(1859)年に布教を始めたと伝えられています。名の由来は、幕府函館奉行所石狩詰調役の荒井金助の弟栄太郎が亡くなり、その冥福を祈るために、荒井金助の金の一字と達磨という人が来て龍の夢を語った事から「金竜庵」とした、と「石狩の碑」に記されています。その後、明治13(1880)年に寺号公称が認められ、金龍寺と改称されました。札幌地区では最も古い日蓮宗寺院です。

本堂には、日蓮上人、十戒未曾有大曼荼羅(じっかいみぞうだいまんだら)、鬼子母尊大神十羅刹女(きしもそんおおがみじゅうらせつにょ)が、本堂の右隣にある妙見堂には、妙見菩薩(みょうけんぼさつ)、八大龍王(はちだいりゅうおう)、妙鮫法亀善神(みょうこうほうきぜんしん)が祀られています。

妙鮫法亀善神は、生振(おやふる)村で鮭漁場を経営していた古谷長兵衛が明治22年(1889)年に奉納したもので、平成19(2007)年に北海道有形民俗文化財に指定されています。

境内には、北前船で運ばれ船の乗組員が奉納したと思われる手水鉢(ちょうずばち)があり、「千秋丸水主中」「安永3(1774)年」と刻まれていて、石狩では最古のものです。

また、石狩詰役人である天野傳左衛門正庸(あまのでんざえもんまさつね、徳川幕府函館奉行所に在勤した役人で安政4年に石狩詰となり石狩シップ在住としてシップを開拓したが、安政7年11月28日に没した)の墓と、村田小一郎(石狩詰役人として荒井金助が建てた「教導館」や武道館に勤め、函館から玉及び雷管を取り寄せ洋風の鉄砲教授に当たった)の墓があります。

金龍寺では、2月に水行が行われる「節分会星祭(せつぶんえほしまつり)」や8月の盂蘭盆会(うらぼんえ)の灯籠(とうろう)流し等の一連の仏教行事が行われています。

(三島照子)


参考文献


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