マシケ場所
印刷用ページを表示する 掲載日:2014年7月31日更新







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7.マシケ場所(浜益地区)
むかしの浜益は、「マシケ場所」と呼ばれていて、原住民と和人とのものの交換場所があったとこなんだと。
寺子屋もあったし、明治五年に戸長役場ができたときは、病院もできたんだと。
ニシン漁の全盛時代には、大きな網元が何件もあり、合同会社もできて、すばらしい「レンガ倉」も建っていたと。
みそ・しょう油・お酒をつくるお店や、銀行・質屋に劇場やふろ屋などのお店もあったとかで、商店街として、たいした栄えていたところだったと。
明治三十年に小樽と浜益の間に、「汽船」がとおって、たちまち便利になって、港は、ニシン場とはまたひと味ちがった、にぎわいをみせていたもんなんだと。

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