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市長の部屋/市長からのメッセージ(令和元年6月26日) 

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年6月26日更新

市長の部屋/市長からのメッセージ(令和元年6月26日)

市長の部屋(令和元年6月26日)

市長5期の任期最終日の朝、朝食を車の中で食べながら浜益に向かっています。快晴の中、木々は青年のごとく青々と美しく森となり、光は初夏の熱を含みつつ、大地に恵みをもたらしています。

いつもの朝と変わるところはないのですが、胸の奥底に塊を感じています。その緊張感なのでしょう、今朝は非日常的な日なのです。特別な日なのです。

夕方のお別れのあいさつ、セレモニーでのあいさつ。一世一代と思いつつも、恐らく月並みな語彙しか出てこないでしょう。言えることは決まっています。市民力こそ発展の源だと。今はそれ以外考えられません。

石狩八幡で戦後生まれ、昭和43年に役場に入りました。給料は学生アルバイトに満たなかったですが、職場に野球がありました。役場を辞めるのを踏みとどまったのは、翌年に入ってきた白井副市長のような名選手とプレーできる可能性があったからです。

30代は石狩のビッグデータ作りに1日を費やしました。海浜植物PBO2(ピービーオーツー)方式による大気調査。海と川の定点水質調査など、先輩から見ると遊んでいるように見えたかもしれません。その後の新港の環境アセスメント、土地利用計画の基礎となりました。

石狩湾新港管理組合時代は船主、船荷セールスにシンガポール、香港、天津、大連、ハバロフスク、タコマ、シアトル、バンクーバー、ロスアンゼルス、サンフランシスコなど荷物のありそうな所を歩きました。ブロークンイングリッシュで通じるようにもなりました。今は市長という変なプライドのせいでしょうか。サンキュー以外は全く話せません。

終わりに、市の全ての皆さんに心から感謝します。「ありがとうございます」。石狩市の繁栄を願って、私の市長の部屋を終えます。いつも読んでいただいて、励みになりました。

石狩市長 田岡 克介