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清水 友翔さん(しみず ゆうか)〔就労型課題解決インターンプロジェクト〕

印刷用ページを表示する 掲載日:2021年8月8日更新

8月8日

今日から浜益区にてインターンを開始。初めての一人旅で、「ちゃんとたどり着けるかな」という不安と「どんな出会いや経験をできるか楽しみだな」という高揚感が全身に駆け巡っていた。

石狩市役所から厚田区へ向けて車が走り出す。車窓から見える景色は東京の中心地とは全く異なる別世界であった。

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道路からこんなに大きな風車を見られるのは広大な土地を持つ北海道ならではの光景といえるだろう。

この大きな風車は今日の天候を味方につけたようだ。どんよりとして漂う雲に覆われた曇り空でさえも私たちの生活のために強い風を

吹かせてくれるならば悪くはないと思ってしまう。

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大きな3つのプロペラを同じ速度で回す風車の群れを眺めていると、今度は大きな川に出くわした。これがかの有名な石狩川である。一級河川と呼ばれるにふさわしい長さと流域面積を持っていて、車窓から写真を撮ったのだが全容を捉えることができなかった。横断する橋の長さもレインボーブリッジの比ではなく、延々と続いていた。海が近く河口部であるために特に広い部分を今渡っているのだと説明を受けたが、それにしても大きな川だ。こんな川では水深が計り知れない。泳いで渡り切るのは至難の業であろう。

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厚田区を通り抜けて浜益区へ行く途中、次は海が横に現れた。一直線に伸びる水平線の美しさに私はしばらく見入ってしまった。この写真のように窓の枠があることで、異常なまでに海と空をはっきりと分断する直線がより強調され、こちらの世界の方が傾いているように錯覚してしまう。まさに別世界である。そして雲の隙間からこぼれる光の柱が幾本も下へと伸びているため神秘さが増している。あの光の柱を登っていけばこの世とは比べられないほどの美しい天井の世界に通じているのではないかと淡く期待を抱いてしまう。窓の向こうに吸い込まれていくような本当に素晴らしい景色であった。

今日は移動がメインで窓から景色を堪能するだけだったが、明日からはこの別世界に足を落ち着かせ、仕事に勤しむことになる。この場所での出会い・経験を経て私はどんな風にこの世界を楽しむのだろうか。今からわくわくしてしまい、夜は寝られるだろうかと幸せな悩みに頭を抱えるのだった。

8月9日

本格的にインターンが始動した。今日は風も強く、天気が崩れるかどうかわからない空模様であった。大学に行くよりも少し早い時間に起きて、農園へと足を向けた。

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善盛園に着いてはじめに園内の探索をした。この写真に写っている巨木は北海道開拓の150年とほぼ同時期に植えられて今もなお生きている杏の木だそうだ。ここの農園を経営している方いわく、初代のころに植えられて五代目の自分の代まで生きているということだ。確かに周りの木々と比べると木の幹がどっしりとしていて木肌にも苔がびっしりと敷き詰められており、時の流れを目で見て歴史を感じることができた。

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善盛園ではサクランボを育てていて、農園に入るとそこら中からフルーツ特有の甘い香りが漂ってきた。ここでは今の時期には南陽・ごんべえ・蜜・佐藤錦・水門・月山錦の6種類のそれぞれ個性が全く異なる魅力的な実が食べられる。みずみずしいもの、甘酸っぱいもの、身がぎっしり詰まっているもの、珍しい色をしたものといった様々な良さのサクランボを堪能しながらゴミ拾いやサクランボ狩りの片付けを行った。緑の葉が生い茂る木々の隙間から赤い実や黄色い実が顔を覗かせていて、宝石の埋め込まれた天井のようでキラキラと輝いていた。

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終業後には地元の温泉に連れて行ってもらった。露天風呂もあり北海道の自然を楽しみながら湯につかることができて、気持ちが良すぎて魂が抜けていくような吐息が漏れ出てしまった。肉体労働の代償として著しく発汗した体を清め、体の芯まで温まったことで出た時には生まれ変わったような心地であった。

初日の仕事は滞りなく行えて少し安心した。久々の野外活動で、しかも肉体労働だったので気持ちの良い疲れが私に眠気を与えてくる。明日もまた睡眠の質を高めるべく、しっかりと働こうと思う。

8月10日

今日は強く吹き付ける風とキンと冷えた雨が朝から冷気を部屋に呼び込んできた。おかげで真冬のまだ陽も昇らぬ朝の時のように布団にくるまったまましばらく動くことができなかった。

天候の関係で急遽お世話になることになったきむら果樹園で、昨日とはまた違った新しい経験を積んだ。

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午前中の業務では果樹園で採れたフルーツで作ったジャムやジュースのラベル製作に勤しんだ。ラベルを瓶に貼っていくのとラベルをカッティングしていく作業とに分かれて同じ方向に向いて黙々と作業を行った。ザ・作業場という感じの机と周りの壁に打ち付けられたメモの走り書きや書類が、ここで常日頃から生活をして仕事をしていることを雄弁に物語っていて、集中して作業することができた。蛍光灯の明かりが自然光では見えづらい手元の部分を煌々と照らして私の仕事を捗らせてくれた。時代はLEDというが、蛍光灯にはLEDにない落ち着く雰囲気があり、この場所において相応しい照明は蛍光灯の方であると思った。

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ラベル製作がひと段落すると、休憩がてら果樹園のご家族の方と色んな話をする機会があった。小学生の少年は肌寒い気温をものともせず元気に動き回っていた。最近は「Laq」というブロックの玩具にご執心のようだ。一緒に私もやってみたのだが思い通りに形成することが難しく、そんな私の横で様々な作品をいとも簡単に何個も目の前で作ってしまう彼は、自由な思想とそれを形にすることができる魔法使いのような人だと私は感嘆した。その少年のおじい様とおばあ様は若々しく私よりも気力にあふれていて、二人の掛け合いも理想的なパートナー像だなと思いながら和やかに眺めていた。半日ほどしか一緒にいなかったのにアットホームな雰囲気と朗らかで楽しげな一家の様子を見て、とても居心地がよく幸せな気持ちになった。これほど見ていて幸せになることはあまりないだろう。いい出会いだったと心から思う。

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昼食を済ませてリノベーションされた旧コミュニティセンター施設の視察に向かった。入ってすぐに目の前がガラス張りで日本海が一望できるカフェテリアがあった。横の部屋ではWi-Fiが完備されており、リモートワークができる環境が整えられていた。2階や3階はくつろげるスペースになっていて、まさにワーケーションという新時代の宿泊スタイルにピッタリの空間ができあがっていた。2階の吹き抜けから1階のカフェテリアを見下ろすことができるのがどことも繋がっているという感覚になって、いい場所だなと感じた。海が見える大きな窓や天窓から優しい自然光が室内に入って来て日中はどこにいても明るいし、吹き抜けがあることで開放的で空気の入れ替わりも常にできるので空調も悪くならないだろう。少しの時間過ごしてみて光や空気、室内の雰囲気によって心の平穏が自然と保てる場所だと思ったので、ここが本格的に運営されるようになったら色んな人にぜひこの感覚を味わってほしい。

私がここに来て成し遂げたいと思っていた人との出会いと新たな経験を着々と遂行することができて概ね満足である。これを自分の中でどう昇華していくかが今後の課題であると思ったのであった。

8月11日

今日はいつもより人間活動が始まる時間が遅い。なぜならば、待ちに待った休日だからだ。

起きたい時間に起きて二度寝することも許されるすばらしい日。

慣れない環境での疲れが無意識に溜まっていたのか、泥のように眠り込んでいたが、朝食を

しっかりと頂いて、そのあとも充実した一日を過ごした。

 

まず、民宿から南側に進んで昼食を調達した。「ふじみや」のどら焼きの実演販売が行われていて、

出来立てを食べることができた。実演販売の様子はまるで一気に盤上がひっくり返るオセロゲームだった。

白いきれいな円形の生地が向かって右側からどんどんこんがりと焼け目がついた黒の面に返されていく様は、

白の完全敗北へのカウントダウンをじわじわとして追い詰めているようであった。

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昼過ぎには北上して「はまます郷土資料館」を訪れた。

中にはニシン漁が盛んだったころに使われていた道具などが展示されていて、興味深い形のものがたくさんあった。

八田美津さんという創作人形作家のジオラマが飾られていて、当時のニシン漁の様子がうかがえた。

女性たちがニシンを入れて運んでいる「もっこ」という背負いかごのようなものは本体だけで約20kgもあるので、

ニシンをいっぱいに詰めて運ぶと肩が外れそうになるほど重いだろうと思った。

一日に何十トン、何百トンものニシンを取っていたというのだから、写真のようにヘンゼルとグレーテルみたく、

ニシンがポロポロと零れ落ちていってもお構いなしに作業しなければ、その日中に引き揚げることができなかったのだ。

北海道の規模のでかさはこんなところにも及んでいたのかと感嘆してしまった。

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自転車に乗って浜益区を観光してみて、実に心地が良かった。風が穏やかに吹いていて日差しを和らげてくれたことで、

ちょっとした坂を上るのにもあまり息を荒げずに済んだ。海沿いをずっと走っていたので潮の香りが常に鼻孔をくすぐり、

海が私を包み込んでいるようだった。

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休日を使って自分たちの気の向くままサイクリングをするのはとても有意義であった。

気になるものがあればそこで足を止め、現地の人達に出会い、話をする。

これこそ時間の使い方の正解の一つだと私は実感したのだった。

明後日からは浜益区から厚田区に拠点を変えて活動していく。

厚田区ではどんな日々を送れるのか。今日も眠れない夜は続く。

8月12日

今日は浜益区との別れの日。朝の8時ごろには民宿に別れを告げ、想像していたよりも大きい送迎バスにキャリーケース3つを載せ、旅立った。少しの時間ではあったが、やはり衣食住を介して愛着が湧いたこの場所を離れるということは感傷に浸らずにはいられなかった。ありがとう浜益。さよなら浜益。故郷を離れるような思いで、浜益区を後にした。


と、しみじみとしているのも束の間、カムバック浜益。厚田区で男子チームと合流して厚田区の各地を訪れた後、再び浜益区に戻ってきたのだ。後から冷静になって考えてみれば、男子チームが浜益区で生活することになるのだから、厚田区を巡った次に浜益区をみんなで訪れるのは至極当然のことであったのだ。感傷に浸って浜益の海を眺めていたことを気恥ずかしく思いながら、浜益区の未踏の地に足を踏み入れた。

鶏

シフォンケーキ
 
厚田区ではじめに向かったのは「飛ぶ鳥農場」。20代の若い夫婦で移住してきて、養鶏と養蜂を主に行っている農場だそう。今回訪れたのは養鶏場の方だったが、平飼いで育てていることからストレスフリーでおいしい卵がとれるという。養鶏場には二種の鶏が入り乱れていた。オスとメスも同じ部屋の中で育てられていて、有精・無精関係なく収穫し、出荷している。産業廃棄物となってしまうまでの約2年という月日だけはストレスを感じさせることなく、のびのびと育ててあげたいというご主人の思いが著しくに出ていて、こいつらは幸せ者だなと思わずにはいられなかった。そんな思いはつゆ知らず、彼らは自分たちの小さな世界の各々のテリトリーの主張のために日々「コケコッコー」と鳴き続けているのであった。
奥さんが手作りしているシフォンケーキをいただいたのだが、まるで天使の羽のように軽く、口に入れた瞬間から優しい甘みだけを残してどこかへ飛んで消えていくようであった。

豊隆寺
 
浜益区に戻ってきてから、浜益支所の周辺を歩き回った。歩いたことのない範囲だったので私の知らない新たな浜益を発見することができた。特に印象に残ったのは、浜益山豊隆寺。ファンキーな外装の本堂の中にファンキーな住職がいた。見た目は優しそうな住職、中身は元気でいわゆるノリのいいイケイケな住職だった。説法も拝聴したが、なんともフランクで分かりやすく面白い話し方と内容であった。「お盆は家に先祖が帰ってくるのに私たちがお墓参りに行くのはなぜなのだろうか」という矛盾を突いた疑問から「先祖がいたおかげで私たちがいる」これを当たり前と思わず有難いと感謝することが大切であるという仏の教えへと自然に導いていて話が実に上手いと思った。人に読まれるこの文書を書くうえでも見習わねばなるまい。

今日一日だけでもたくさんの場所へ赴き、多くの収穫があった。厚田区という知らない場所の特色をつかめたような気がするし、浜益区の魅力を新しく知ることができた。とても濃かったのでここには書き出せなかったことも多くある。その書き記せなかった部分も含めて人に興味を持ってもらうための提案をインターンの最後にはしなければならない。明日からは厚田区を満喫して意見をまとめていこうと思う。ひとまずは明日の朝ご飯はなんだろうかということに思考を集中せねばならないな

8月13日

今日から厚田区での就業活動に入った。一人で職場に行くのが初めてだったので緊張と不安で頭の中ではどんな感じでいけばなじめるのかイメージトレーニングを何パターンもずっと考えていた。実際に厚田海浜プールに行ってみると、同い年の大学生やワーキングホリデーでやってきた人など色んな人に出会えて、面白い人ばかりで緊張するのが馬鹿らしくなるほど楽しい職場であった。

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厚田海浜プールでは一時間ごとにアナウンスをするのだが、ここで放送部の経験が生きた。

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待ちに待ったランチタイム。民宿の八幡二に用意してもらったお手製のお弁当。雲一つない空とテトラポッドに囲まれた人が踏み入れることの許された海の青さを心行くまで堪能し、子供たちの底抜けに明るく楽しそうな歓声をBGMに食事を楽しんだ。手作りのぬくもりを高校時代ぶりに感じ、人とのつながりのありがたみを一つの弁当から教わったのだった。

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夕日が沈む前、波が満潮になる準備を始めるころ、私は仕事が終わり海辺を歩いていた。空に雲が霞がかり風が頬を冷たく撫でると、陽は大きく膨張した姿で私たちの前に現れ、私たちの影を長く伸ばす。海にファインダーを向けて覗くと、この海でいのちを守るライフセーバーたちが腰に紐を巻き付け、タイヤ引きをしていた。青春の一ページのようなその一瞬を写真という永遠の形に留めることができた。そして、その軌跡であるなだらかな砂の道も写真に収めることができた。自然の青も緑も人が作った道や場所と共生しているこの景色を私は一等美しく感じるのであった。

明日は緑に囲まれた山間部へと仕事に行く。そこに見える景色に私は何を思うのだろうか。おやすみなさい、また明日。

8月14日

今日はキャンプ場でジップラインの仕事をした。ジップラインについては同じく業務に当たっていたチームメイトや男子メンバーの活動日誌を参照するとよいだろう。私はこのキャンプ場で見た時の些細な自分なりの思いを書き進めていこうと考えている。

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まずはチームメイトとのランチタイム。前日のお弁当のことで量は十分かと聞かれた時、恥ずかしながら私には少し足りなかったと伝えたところ、今日のお弁当に至ったわけなのだが、最初にパッと見たところはお互いに何の変化もないように見えた。しかし、蓋を開けて驚いた。米がぎゅうぎゅうに敷き詰められているではないか。そういえば蓋の感触も少し浮いていたように感じたが、横から比較して見ると分かりやすく米の量が違った。うまみの凝縮された梅の色が少し移った紅色の部分のあるムーンストーンのように白く輝く米の粒が所狭しと詰め込まれている様はまさに宝箱からはみ出してしまいそうな宝の山であった。米一粒一粒の食感と甘みをかみしめながら、おかずとともに腹に収めた。

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ランチタイムを彩るのはこの景色。キャンプ場には子供でも足がつくほど浅く細い川が流れていた。川の近くにはアメンボやシオヤトンボなどが生息していて、時折サケも泳いでくるのだそう。人のために切り開かれたキャンプ場でも自然が守られているからこそ見られる景色があることを実感した。

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受付のブースに置いてあった殺虫剤に知ってか知らずか一頭のバッタが止まっていた。殺虫剤はハエと蚊専用のものではあるが、そんなところに止まっていていいのかといささか疑問に思った。このなんともシュールな光景に私はつい見入ってしまった。終業して帰るまでの間しばらくじっと見つめていたが、動かずただそこに佇んでいるだけで、彼の心境も目的もうかがい知ることができなかったのが気掛かりである。

明日も同じくジップラインの業務である。バッタの行方を気にかけながら今日も布団に入り、微睡んでいくのだった。

8月15日

今日も張り切ってジップラインに挑む。こんなに楽しんでもいいのかというくらい本当に楽しく、この業務はスタッフをも魅了する。

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お昼時、私は待ちに待ったある一つのドリンクに手を伸ばした。なんとあのリボンナポリンに仲間がいたのだ。その名も「リボンシトロン」。ナポリンがオレンジ色なのに対し、こちらは無色透明の炭酸飲料。ボトルキャップを回すと、プシュッと爽快な音を鳴らす。一口飲んでみれば、途端に爽やかなサイダーの味が口いっぱいに広がる。これは美味い。

川の近くで飲むとなお一層美味い。水の流れる音を聴きながら飲むと、全身が一気に爽快感に呑まれて自分があたかも水になったかのような錯覚に陥る。ゴクッゴクッと喉を鳴らしながらあっという間に飲み干してしまった。

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河原で撮影をしていると携帯電話に一匹のトンボが止まった。どうやら休息場所を探していたようだ。しばらくは撮影のポーズを崩さず彼が飛び立つのを待っていたが、先に私の腕の限界が来てしまった。しかし振り落としてしまうのも忍びないので、口から少しばかりの風を送る。だが彼は依然としてそこから立ち去ることはない。仲間たちも川を横断して彼を横目に飛んでいくが、仲間と共に飛んでいくこともない。私は次第に、彼は体たらくなトンボなのではないかと思えてきた。一度ここに止まったきりで何かをするでもなく、仲間たちが横を通り過ぎて行ってもじっと佇んでいるし、私が携帯電話を動かさずに操作していてもお構いなしだ。

私は諦めて彼と行動を共にしようと思った。なるべく携帯電話を振らないようにして歩き始めると、タイミングを見計らったかのように彼は力強く飛翔した。私はただポカンとして彼が飛んでいくのを見ていた。どうやら私は彼に遊ばれていたらしい。なんとも面妖な出来事であった。

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このキャンプ場のジップラインでは、山の中で動作確認をしたら、一番目玉になるこのターザンを最後に滑走する。この景色は高所への恐怖に打ち勝った者だけが見られる特別なもの。ここからの景色はこのキャンプ場を一望することができ、川で水遊びをする子供やテントを張ってくつろいでいる人々の様子をうかがえて、実に壮大である。風も一等心地よく、空気も美味しいように感じる。飛び始めの勢いが弱かったり体が軽かったり風が強かったりすると、ターザンの途中で止まってしまうことがある。そんな時は最後の着地の衝撃を味わえないのが残念なところではあるが、サポートが入るまでの間はハンドルから手を放していても宙に留まり、上からの景色を存分に味わうことができるので、自分が神になったかのようなレアな経験ができる。

写真では伝わらない恐怖を退けて飛べた達成感と特別な景色を見ることができる優越感をぜひ味わってほしい。

山の自然を味わえたこの2日間に得るものは多くあった。明日も多くの収穫をするべく、今日もまた美味い飯を食い、温かい湯船に浸かり、布団に入ってエネルギーを蓄えるのだった。

8月16日

今日は風が強く、雲が空を覆いつくしていた。海の近くを歩いているとやはり肌寒く、一日中パーカーを羽織っているのが最適であった。リゾートバイトできていたスタッフの人たちは長袖と長ズボンに身を包んでいた。真夏に長袖の衣類に袖を通すことはめったにないが、ここでは当たり前であるらしい。夏の北海道は、晴れ間は涼しく生活しやすい気温だが、曇天になると途端に本州の秋ごろと遜色ない肌寒さが襲ってくることを実感した。この時期に旅行を検討される人がいるならば、長袖と長ズボンを必ず一着は持ってくることを強く推奨しよう。

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以前は雲一つない青空の下で子供たちの楽しそうにはしゃいでいる声を聴きながらランチタイムを過ごしていたが、なにぶん風が強く水温も上がりづらかったので遊泳しているお客さんが少なく、子供たちの声をBGMに食べることはかなわなかった。しかし、他のスタッフともランチタイムまでに徐々に打ち解けていたので談笑をしながら楽しく食べることができた。民宿で作っていただいたお弁当にはチームメイトよりも多めに詰めてもらってパンパンに膨れている真っ白な白米と野菜もしっかりとれるおかずが入っていた。いつも入れてくれている玉子焼きは朝食で出してくれることもあるのだが、口当たりが柔らかく、優しい甘みが口の中にフワッと広がるのでとても美味い。お弁当用に冷ましたものは少し固まって食べ応えのある食感になり、甘みは凝縮された分強くなるのでこれまた美味い。チームメイトとこのお弁当の美味さを分かち合えたことで空腹も心も満たされて幸せな心地であった。

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海辺を散策していて防波堤の方から視線を感じて見てみると一羽の鳥がこちらを見ているではないか。風の音共に海浜プールに響き渡る鳴き声が特徴的であったので、恐らくウミネコであろう。鳥の目の視野は両目だと約23度ほどであるのに、明らかに彼は私を見つめている。私も視線を逸らせずにいたのだが、相手の方が興味を失ったのか先にフイと顔を背けて何事もないかのように飛び立った。彼は私を見て何を思ったのだろうか。彼の心は誰も知らない。

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天候の影響もあって少し早めに閉めた海浜プールで、ライフセーバーの方たちに教わりながら「サップ」と呼ばれるマリンスポーツを楽しんだ。正式名称は「スタンドアップパドルボード」で頭文字を取って「SUP」と呼ばれており、安定性があり転覆しにくく海の上をパドリングするので泳ぎの苦手な人にも楽しまれているスポーツである。初めはバランスを取るのも難しく、転覆を恐れてボードの上で生まれた小鹿のように足をプルプルと震わせていたが、何度か試行錯誤しているうちに安定して操作できるようになった。海の上で悠々と漕いでいるときは自分が運動のできる人間になれたように感じて、甚だ気分がよかった。最後の方には、パドルで方向転換したり、ボード上を立ったり座ったりすることも容易にできるようになり、どれだけ速度を出せるかやってみたりと心の余裕ができて楽しいと感じたので、北海道から戻っても趣味としてやっていきたいと思った。

晴れ渡る空と海も、曇り空と海の組み合わせも見ることができて厚田区の海を満喫できたような気がする。次は人とのふれあいを意識して厚田区を回ってみよう。少しばかりの休息をとって、さらに厚田区を知るべく能動的に外へ赴こうと思ったのであった。

8月18日

今日は働く者に与えられる休日という日。この日は石狩をさらに調査すべく、あいにくの雨であったが外へ出かけたのであった。

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ハマナスの花は石狩を象徴する花で、ハマナスの実は赤い偽果の中にあるつぶつぶとした実が食べることができるそうだ。

石狩浜海浜植物保護センターではハマナスの生態を知ることができ、はまなすの丘ヴィジターセンターでは実際にハマナスの実から作られたソフトクリームを堪能することができた。ハマナスのソフトクリームはフローラルな甘さで桜やバラといった花で作られたソフトクリームに近い味わいであった。

開花時期ではあったが、ここ最近の異常気象によってピンク色の花はすでに枯れ、真っ赤な実が多くなっており、曇り空によって強調された赤がそこいら一帯の草むら中に散りばめられていた。ハマナスにはビタミンなどの人体に効果的な栄養素を含んでいるため、ハマナスを使った美容グッズも販売されていた。ハマナスの花と同じピンク色のパッケージも可愛いのでお土産にもいいかもしれない。

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今日は一日中雨で一面灰色の景色だったが、それでも石狩川の河口近くにある灯台はいつもと変わらずちょこんと立っていた。一般的な海の灯台よりも小ぶりで赤と白の縞模様がなんとも可愛らしく、持ち歩きたくなるようなデザインであった。また晴れの日に見ることができればいいなと思いながら、私たちはその場を後にした。

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とうとう石狩鍋を食す時が来た。噂には聞いていたが、本当に具だくさんでイクラも乗っていた。やはりサケがたっぷり入っていて、掬っても掬っても出てきて食べ応えがあった。最後までサケがスタンバっているので、どんな味だったかと聞かれると、「サケの味だった」と答えるのが正解であると言えるほどサケの旨みが染み出ていた。熱で火が通り真っ白に染まったイクラの粒はプチっという食感はなく、グミのようにぐにっとしていてサケの味がした。新鮮で面白い体験をできた。「ひだか」という寿し処で頂くことができるので、冷え込む雨の日や寒い冬の時期にぜひ食べてほしい。

石狩を満喫することができて大変充実した休日だった。平日で人も少なく、時間をかけて一つ一つを回ることができて喜びを享受したところである。まだ見ぬ魅力を発見すべくまた休みの日には外へ繰り出そうと思ったのであった。

8月19日

今日は道の駅にて友好都市フェアと題して沖縄県恩納村と石川県輪島市の特産品を野外で販売した。今日から4日間開催するこのフェアで、集客して多くの人と出会い、パイナップルを売り切ることを目標に頑張ろうと思っている。

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見慣れない食品があった。名をば、「つるも」「かじめ」となむいひける。2種類とも輪島市の特産品として地元の人にはよく食べられている海藻らしく、極北の地でお目にかかれるのは非常に稀なことであることを知った。商品を見て下さるお客さんもいるが、こちらも食べたことがないものなので如何せん説明が難しい。食べたこともないものを人に勧めるというのは土台無理な話である。やはり、知見を広めるためにも食わず嫌いせず何でも食べてみるに限るなと思った。

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駅長さんのご厚意で道の駅で販売しているしそのサイダーを頂いた。赤しその色素をそのまま移したような鮮やかな赤紫色が綺麗だ。日に当てて見ると、透明度の高い赤が際立って宝石のように角度によって色の濃さが変化して美しい。飲んでみて、見た目よりもずっと優しい味わいであったことに驚いた。

しその葉だからハーブのような薬草みの強いクセのある味かと思っていたが存外飲みやすく、今日のような晴れた日には清涼感が程よくて喉を伝って体内に入っていくのが心地よかった。

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今日はよく空を見上げていた。昼間には天高く昇ってゆく魚のような雲を見つけた。形定まらぬ雲が鱗一つ一つのように見えて、尾ひれもくっきりと模られていて天に昇る龍に勝るとも劣らない雄大さと見えない曲線美を感じ取れた。

夕方には夕焼けに染まる雲の群れと一羽の鳥を一枚の写真に収めることができた。夕日が落ちて空全体に茜差すことで作られた紅鮭の白身と皮のような色彩のコントラストが印象的であった。一羽の鳥の翼を最大限広げて飛んでいるさまが勇ましく、渦巻く赤黒い炎に立ち向かっているようにも見えて、勇敢さを象徴していると思えた。

フェア初日のパイナップルの売上はまずまずであった。お客さんとは沖縄や石川へ訪れたことがあるかという話から始まり他愛もない世間話をしたことで、その人の為人が分かってきて実に面白かったので明日も同じように接客していこうと思う。明日はどんなライフストーリーが聞けるだろうか。それではまた明日。

8月20日

今日も道の駅にてパイナップルを売ってきた。人が変われば売れるものも変わり、昨日とはまた違って石川県輪島市の特産品「つるも」「かじめ」がよく売れた。誠に喜ばしい限りである。

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私の朝は優雅にスムージーをのむことから始まる。というのは冗談であるが、今日の朝食にスムージーがついてきた。ミカンやバナナなどの黄色系フルーツを混ぜ合わせて作られてあり、トロピカルなイエローがきれいでミントのグリーンもアクセントになっていた。キンキンに冷えたスムージーが口に入っていくたびにミントの爽やかさも連れてくるので爽快感が強く、とても快適な眠気覚ましであった。

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厚田のロゴTシャツが支給された記念に写真に収めた。晴れ渡る空の色に晴雲のようにトーンの明るい白色で厚田の自然の良さをロゴにしたものとローマ字で書かれた「ATSUTA」がバックにプリントされていて普段使いしやすいTシャツだったので、私たちが着用した姿を見て、市役所の人や道の駅のスタッフの方にも好評であった。

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終業後、毎年二十日盆に行われる「灯篭流し」の行事に飛び入りで参加させてもらった。寺で灯篭の運搬を手伝った後、陽が沈むのを待ち、厚田川の河口から海へと何百という「南無妙法蓮華経」と書かれた灯篭を見送った。

灯台が灯篭の群れを導くかのように緑色のライトを点滅させる。灯篭は流れて遠くへ行くほど潮の流れに沿って密集して曲がり、水平線を橙色の灯りが埋め尽くしていく。空は薄い雲がかかり、群青色から鳥の子色、鳥の子色から茜色へとグラデーションを施していた。それが灯篭の流れる海に映り、海の表情を変化させていた。

昨日よりも商品についての知識がついて、勧めるときにも口が上手になってきたように思う。明日も厚田Tシャツを身につけて、パイナップル完売という目標を完遂しよう、と意気込んだ。

8月21日

今日は風が強すぎてフェアで屋外にいるにはなかなか大変で、体ごと飛んでいきそうだった。しかし、風に屈せずパイナップルを売り続けた。

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今日も元気に友好都市フェアは開催された。飛んでいきそうになる商品のポップを何度も補強し、もうはがれてくれるなよとテープを貼る手に力を込めた。そして風にあおられながらも目をかっぴらいて客を呼び込んだものだ。

今日は休日ということもあってか乾物系がよく売れた。私も家でゆっくりさきいかをつまみながら映画でも観たいなと思いながら、接客するのであった。

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差し入れに頂いたトマトの中に双子ちゃん見っけ!

卵の黄身のような黄トマトが一つの房に仲睦まじく生っていた。チームメイトと私も仲良く分け合って食べた。身がしまっていて、口の中で種がはじけていくのが心地よかった。

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晩御飯の後、待ちに待ったデザートタイムに突入。念願の飛ぶ鳥農場のたまごプリンを一人一個ずつ食べた。余計なものは一切使わずシンプルに素材の味だけで勝負できるほど美味しかった。カラメルがないからこそ、たまごのなめらかさと牛乳のまろやかさとそれを引き立たせるように少しの砂糖で味付けしているのは大正解と言えるだろう。病に罹ってしまって食欲が減退してしまってもこれだけはペロリと食べられることができてしまうと思った。

今日でパイナップルを売りきることができなかったことが非常に無念である。明日は最終日。できることはやりきろうと心に誓い、疲れを癒すために今日も眠りにつくのであった。

8月22日

今日は日曜日。4日間連続で道の駅で働くことに慣れてくる反面、疲れも溜まってきていたが、力を振り絞り、やる気を起こして道の駅へと向かった。

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休日ということもあってか開店前だというのに道の駅には長蛇の列。どうも先日のテレビ番組で取り上げられたたこ飯といちごプリン目当てに来たのだろうと推測できる。友好都市フェアもどうにかこの恩恵に与りたいものだ、と思いながら店を開いたのであった。

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この場所にはもうテントの姿は見る影もない。跡形もなく片付けられたが、ここに確かに私たちの努力の軌跡はあったのだ。

4日間暑くても風が強く肌寒くなろうともひたすらパイナップルを売り続けた結果、当初60点あった大量のパイナップルを一桁の在庫にまで減らすことができた。ほかの商品では完売になったものがあった。売り上げもダントツで最高額になった。心残りはパイナップルを売り切ることができなかったことだ。この4日間で屋外での販売の難しさと目標をクリアすることの難しさを実感したのだった。

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終業後、差し入れに頂いた食券で道の駅にあるジェラート屋さんのジェラートをダブルで食べた。テイストはとうもろこしとななつぼしミルクをチョイス。どちらも素材の味が生かされていて味わい深いものであった。とうもろこしは、実の甘さを抽出してジェラートにしたように本当にとうもろこしの味しかしなかった。ななつぼしミルクは、厚田産のお米「ななつぼし」をジェラートにしたもので、お米の甘みとミルクのコクが程よくマッチングしており、米を細かく砕いてあるのか食感も面白く美味であった。

2日目から個数や差額を確認するために金庫を見張っていたら、いつの間にか金庫番に任命されていた。最後まで過不足なく精算して仕事を全うすることができたので、なんとか道の駅での業務については肩の荷を下ろすことができそうだ。今後ともごひいきに。信用第一の清水銀行にお任せあれ!

8月23日

今日は休日を利用して厚田区を巡った。天気も快晴で日中は過ごしやすい気温だったので、巡るにはもってこいの日和であった。

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朝から牛乳を1パック空にしてしまった。今日の朝ご飯は私の牛乳を渇望する欲をかきたてたのだ。今日は珍しく洋食が出てきた。食卓には2種類の焼きたてのパン、彩り豊かなサラダ、半熟の目玉焼き、2本のウインナー、見るからに濃厚なパンプキンポタージュ、オレンジ色のメロンが並べられ、食卓を彩った。水差しの隣にはいつもは置かれていない牛乳があるではないか。私は常日頃お茶よりも牛乳を飲んでいて、一週間に1リットルの牛乳を2本は消費してしまうほど、牛乳を愛してやまないのだ。ましてや北海道の牛乳など美味くないわけがない。1杯また1杯と、コップに注いだ次の瞬間に白くなめらかな液体は私の中へと流れていく。いつの間にか、置かれたときにはほぼ開けたばかりの状態だった牛乳パックは、中身を失って2本の指で持ち上げることが造作もない軽さになってしまったのである。

今日は朝食ではなくブレックファーストと呼ぶにふさわしい朝ご飯だった。民宿のご主人の専門は和食で、得意料理は懐石料理だと聞いたのだが、そんなことが信じられないくらい洋食も美味しかった。美味しいごはんに促されて牛乳を飲み干してしまったことは申し訳なく思う。しかし、まだ飲み足りなかったことはここだけの話である。

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朝のひとときに満たされた後、厚田学園を訪れた。私たちは学園の教育の充実さに目を見張った。校長自らPowerPointを使ってプレゼンテーションをしてくれたのだが、教育理念や学校教育目標もさることながら、授業体制や学校行事のオリジナリティが常軌を逸していた。学校教育目標を具体的に実現するためにコミュニティ・スクールを開いたり、アーティスト・イン・スクールといった芸術に触れるプログラムを学校活動に組み込んでいるのが実に面白い。1人1タブレットの配布や6年生の早期中等教育など、先進的で誰も置いていかない環境に羨ましさすら覚えた。校長も理想の形であると言っていた。

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厚田学園を後にして聚富を周遊した。私たちが滞在している厚田区厚田とは雰囲気が少し変わり、農業が盛んな印象を受けた。厚田も農業は行っているが道の駅の存在感が強く少し都会的なイメージを持っていたので、聚富の田園風景を見ると、ことさら聚富の農業の方が活発なように感じた。黄金色の稲穂が早くも実っている田園が美しかった。この稲穂を刈り取って食べられるお米になるのはそう遠くない。

今日は厚田区を知るのに大変有意義な一日であった。人も自然も豊かなこの場所に私たちは何ができるだろう。報告会までの残りわずかな時間で仲間と共に言葉を交わし新たな道を見つけようと気持ちを改めたのであった。

8月24日

今日は道の駅のそば屋「一純」での就労体験。飲食店の就労となると、ほかに比べてやはり緊張してしまう。ドキドキしながら道の駅へ向かった。

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緊張しながら入った一純のスタッフの方々はとても優しかった。ニシン漁が有名なことは知っていたが食べたことはないと言うと、ニシンの刺身をふるまってくれた。銀色に輝く肌とほどよいピンク色の身が食欲をかきたてた。食べているときに「お米が欲しくなるな」とつぶやいたら、お米まで出てきて至れり尽くせりであった。

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昼食には自分で茹でたそばとチャーシュー丼を食べた。大きなすくい網で茹でたそばをすくうのはかなり難しく、一握の砂が零れ落ちていくように1本、2本とそばたちが網から逃れていった。すべてのそばを救ってやることができず、誠に無念であった。修行が足りぬので、精進しようと決意したのだった。

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民宿の主人から黄金の宝物を賜った。というのも、とれたてのとうきびが手に入ったので、茹でて甘みを閉じ込めたものを美味しく食べてほしいということだったようだ。食べてみると本当に甘い。砂糖のような甘さではなく、自然の優しいがしっかりとした甘さが口中に広がっていき、今まで食べたどのとうもろこしよりも味わい深かった。丸ごと一本あったのだが5分もしないうちに食べきってしまった。やはり北の大地で育ったとうもろこしは別格であるのだと納得した。

 

一純は、業務をこなしつつ他愛もない話もできて、楽しい職場だった。明日も出勤できることを嬉しく思う反面、明日で就労体験が終わり仲間として接することができなくなってしまう侘しさも懸念した。しかし、今からネガティブなことを考えてもしょうがない。明日も頑張ろうと決意を新たにし、今日も眠りにつくのであった。

8月25日

今日は就労体験最終日。悔いの残らないようにしっかり働いた。と思う。今日も一純でお世話になったので業務もさほど変わらず、バタバタせずに作業ができた。

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一純での開店前にスタッフの方々とティータイムを楽しんだ。厨房の冷蔵庫で冷やされていた缶のコカ・コーラと六花亭の三種類のお菓子をつまみながら、ガールズトークに花を咲かせた。私がチョイスしたのは「百歳」。ブラックカランズジャムというパッケージに書かれている名前に心を惹かれたのだ。タルトのパイのような生地と重厚なスポンジにサンドされたブラックカランズジャムがいい仕事をしていて、甘ったるくなく、ほのかに酸味を現していてとても美味しかった。久々に飲んだコカ・コーラは炭酸のシュワッとした口当たりと砂糖の甘みが強すぎて、ビールのように疲れたときにグビッとあおるのがぴったりだろうなと思ったのであった。

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昨日同様洗い場を拠り所として働いていたが、開店してすぐは洗い物が出ないためほかの作業を手伝っていた。特に興味深かったのはチャーシュー丼の火炙りである。ご飯とチャーシューを一堂に集め、一気に表面をバーナーで炙っていく。この作業がなんとも面白い。焦げ目がだんだんついてきて、チャーシューの脂身がジワジワと音を立てて泡を吹く。肉の焼けた香ばしい匂いが出来上がりの合図である。私が炙ったチャーシュー丼がお客さんのもとへ届くのがなにより嬉しかった。

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終業後には石狩市の市街地にある「番屋の湯」を訪れた。なんとここにはカピバラがいるのだ。タイミングが良ければ温泉に浸かっている姿や餌をむさぼっている姿を見ることができる。温泉に入っている姿はとても心地よさそうで、私も温泉に早く浸かりたいと思わせてくれる。

実際に入った温泉には様々な種類の風呂があり、楽しかった。寝風呂というものがあって頭が沈まないので考え事をしながら体を休めるのに最適であった。

明日からは活動報告会に向けての準備が始まる。どんな内容にするか、男子メンバーとも合流して話し合っていく。とりあえず今日は床に就いて、考えるのは明日からだ。そうして深い眠りにつくのであった。

8月26日

けふより報告会に向け男子団と合流し、作業を始む。

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商工会館の会議室借り、膝突き合はせ意見を交はしき。

ひとへに課題点や魅力を語らふ声とそれを記録する電子計算機のタイピング音混じりあへり。

いかにできあがるやは当日までの楽しみなり。

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夕餉に海鮮丼を食ひけり。いなだ、鮪、鮭、蛸、とびっこ、帆立のさても美味きことか。

吸ひ物の柚子の皮のよきいとなみしなにともあやにくなりき。

 

明日よりはおのがじしに分担されし役割を果たすため動きゆく。

力を蓄ふるため布団に入り、ぐっすり眠らばやと思ふ。

けふは趣向加へ、古文やうに書きき。楽しければ、またせばや。

8月27日

今日は一日中パソコンと向き合い、報告会の活動報告の部分に着手した。どこにも行かず部屋の中でも動かずただじっと文字を打ち続けている姿はきっと滑稽であっただろう。

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昼食に「前浜」に行き、かすべ唐揚げ定食なるものを食した。かすべとは北海道の方言でエイのことを指すらしい。大きな唐揚げが3つ皿に盛り付けられていたのだが、十分にボリュームがあり満足度が高かった。身は白く柔らかい。箸を入れるたびにホロホロとほどけてゆく。露わになった軟骨は羽のように広がり骨格の美しさに見とれてしまった。軟骨の食感はコリコリとしていて、引っかかったりのどに詰まることもなく胃の中に納まっていった。

パソコンを見つめすぎて目がショボショボしてしまった。明日も一日中パソコンに向かうだろうから、目を少しでも休めるべく今日はここらへんで締めようと思う。それではまた明日。

8月28日

今日は報告会の準備をしつつ、大変お世話になっている民宿の八幡二さんに恩返しすべく、一階でやっているお食事処の仕事を手伝った。

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お世話になった分をお返しするつもりでせっせと働いたのだが、美味しいまかないをいただいてしまった。その名も自家製ザンギカレー。彩りと栄養のバランスの重要な役割を担うサラダがいい仕事をしている。しっかりと煮込まれた味わい深いカレーのルーがザンキと相性抜群で、米を掬うペースも衰えず、いつものカレーマジックに加えてより拍車がかかり、一気に平らげてしまった。本当に美味しかった。ごちそうさまでした。

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インターンシップのメンバー全員で厚田の夕日を見に行った。今日は風が強く、防波堤の方の向こう側は波が高かったが、テトラポッドのおかげで穏やかな波紋が広がっていた。夕日が沈むのも早く、写真に収めることができたのも一瞬であった。しかし、それを惜しむ間もなく夕日を吞み込んで染まったかのような夕焼けの空が広がり、オレンジ色のグラデーションになっているのが美しかった。その時撮影した写真の中に仲睦まじい親子の姿が偶然にも写り込んでいた。この親子も浜辺で海と戯れながら一つの思い出を作ったことだろう。私も彼らも同じ景色を見た者同士、いつの日かこの日を思い出しこの地をまた訪れるのだと確信した。

 

ここに来てから何度空と海を眺めたことだろう。何度夕暮れを待っただろうか。日々違う表情を見せる興味深いこの地にあと片手で数えられるほどしかいられない。ここを離れてからここが恋しくなるのはそう遠くない未来であろうと思ったのであった。

8月29日

今日も八幡二さんでお手伝いをしながら、報告会の準備を進めた。締め切りが目の前にあるので普通は焦るはずだが、悟りの境地でむしろ八幡二さんの手伝いをする心の余裕が生まれていた。終業後に昼寝をしたことで、切り替えて作業を行うことができたので万事OKである。

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今日は日曜ということもあって3人のお手伝いを召喚した八幡二さん。お店の回転も早く、席への案内→注文→配膳→お会計→片付け→消毒の繰り返しを延々とやっていた。最後の方には写真の彼女のように手元がぶれてしまうほど素早くおぼんを拭けるようになっていた。

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夕飯ではセルフでごはんを入れる方式だったのだが、チームメイトがマンガ盛りを見たいとせがんできたので私の分を自由に入れさせることにした。やってみるとこれがなかなか難しいようで、結局八幡二さんの主人である谷さんに頼んで綺麗に積んでもらった。

チームメイトの普段のごはんの量と比べると、一目瞭然のボリューム感。こぼれんばかりのごはん粒たちはお互いに粘って、落ちまいと支え合っていた。マンガ盛りをせがんだ彼女はというと、キラキラと目を輝かせ、私とマンガ盛りごはんを被写体にパシャパシャと写真撮影をしていた。

マンガ盛りのごはんは、今日のメインディッシュである大きなソーセージと豚の生姜焼きとともに一瞬で私の胃の中に消えていき、おかわりも果たしたのであった。

 

ほどよい労働の疲れと明日の報告会の緊張がせめぎ合い、眠くて目が重くなるのとドキドキと鼓動が高鳴って目がパッチリと冴えてしまうのが波となって交互にやってくる。そんなことに悶々としながら、布団の中を泳ぐのであった。

8月30

今日は活動報告会当日。午前中から夕方にかけて最終調整を行った。本番の時に人前で話すことよりも最終調整が間に合うかどうかでドキドキハラハラしていた。

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夜からの活動報告会であったが、お世話になった方々に来てもらえて良かった。活動報告会では八幡二さんのご飯について熱く愛を語って笑いも取れたので満足である。

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活動報告会から帰ると、そこには私たちをほめたたえるかのように大きな鍋がどんと待ち構えていた。なんと今夜は望来豚のしゃぶしゃぶを用意してくれていたのだ。これは白米が進まないわけはない。結局六杯ものご飯を平らげてしまった。快挙である。家に帰って体重を測定するのが恐ろしい…。

そして、食後には市役所の方々からのご褒美でロングケーキを頂いた。七本のロウソクの煌々とした灯を自分たちで吹き消した時、無事に活動報告会が終わったことへの安堵と、明日で皆と別れるのだということにもの悲しさを感じた。寂しさに押しつぶされそうになりながらもケーキを味わい、仲間と語らい合ったのであった。

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夜中には念願の星空を恋人の聖地で眺望することができた。都会の空では見ることのできない美しい星々を眺めることができただけでも最高であったのに、皆が気づくことができたほど明るく大きな流星を見ることができたのだ。この奇跡と同じぐらい仲間たちとここで出会ったことは奇跡であり、一生の宝物である。

明日は旅立ちの日。仲間と別れを惜しみつつ、夜が更けるまで心を通わせ、話に花を咲かせたのであった。

8月31日

今日はインターン最後の日。

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最後の朝ご飯は別れがつらくて喉を通らない。なんてことはなく、大きめの茶碗にご飯をよそい、それでも足りずにおかわりをした。汁物も、シンプルな味噌汁と晩餐にも出てきたあら汁を一杯ずつ頂いた。それはここでの当たり前で、いつも通りの光景だった。

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浜益と厚田に後ろ髪を引かれながら、石狩川を渡り、石狩市役所に向かった。

約一か月間を共にしたネームプレートともおさらばということで記念に一枚。さけ子とさけ太郎にも感謝しなければならない。紛失することなく、共に日々を駆け抜けてくれてありがとう。

石狩市役所でインターンの修了証を授与された。これを受け取った時、本当に終わったのだなと実感した。サプライズで私たちの活動の軌跡の動画を見ながら、多くの人と関わり、支えてもらったことに改めて感謝し、惜別の情で胸が熱くなった。

コロナで別れの抱擁をできない悔しさもあったが、最後には皆で笑って写真を撮ることができた。

 

これにて私たちの物語は一度幕を閉じる。私たちはここから新たな目標へと立ち向かい道を分かつ者であるが、各々の物語は紡がれ、またどこかで交差するであろう。