厚田ゆかりの著名人 河合 裸石
知る人ぞ知る、明治の「アウトドア・ライター」と称されています。
生まれは新潟。しかしのちに家運が傾き、一家をあげて北海道岩見沢に渡りました。その後厚田に移り、高等小学校卒業後は同校の代用教員も務めています。
彼は新潟とともに、愛着をもって厚田を自分の郷里と呼んでいました。
厚田にある、断崖絶壁の連なるルーランという秘境に魅せられ、それが彼の書くものの大きな主題となっていきます。裸石はルーランの洞窟にまるで別荘のように出入りし、自由奔放な厚田の教員生活を8年間で終え、29歳になると厚田を去り、小樽新聞社に記者として入社。その後、札幌の北海タイムス(前北海タイムスとは別会社)に移り、まもなく社会部長や事業部長をつとめ、かつてのルーランの奔放な自然児も名士となります。50歳を過ぎた頃には「蝦夷地は歌ふ」を書き、今度は山岳スキー家としての一面ものぞかせました。
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