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石狩市指定文化財

印刷用ページを表示する 掲載日:2023年9月27日更新

石狩市指定文化財

石狩市指定文化財は2022(令和4)年度時点で9件あります。
このページでは「石狩市指定文化財」についてご紹介しています。

文化財については「石狩ファイル」でも紹介しています。
21  「石狩市指定文化財」
129  「浜益の指定文化財」
167 「石狩市指定文化財その2」

第1号 石狩弁天社

弁天社
指定年月日:1967(昭和42)年12月22日
所 在 地:石狩市弁天町18

 石狩弁天社は、松前藩から石狩に派遣された秋味上乗役の山下半右衛門によって1694年(元禄7年甲戌年)に創建されました。主神は、海と川の神である弁財天(厳島大明神)、合殿に妙亀法鮫大明神、稲荷大明神が祀られています。
※妙亀法鮫大明神像は、2007年3月に北海道有形民俗文化財に指定されました。

第2号 チョウザメのはく製

チョウザメ
指定年月日:1982(昭和57)年3月31日
所   蔵:石狩市教育委員会
         石狩市弁天町30-4(砂丘の風資料館)にて展示中

 昭和44年に石狩川で捕獲され、剥製にされました。体長は1.9mでダウリアチョウザメという種です。明治時代までは北海道周辺に生息しており、石狩川にも産卵のため溯上していました。

 

第3号 石狩八幡町遺跡ワッカオイ出土の土器9点

土器
指定年月日:1982(昭和57)年3月31日
所   蔵:石狩市教育委員会

 これらの土器は、石狩川改修工事にともなう遺跡発掘調査で石狩八幡町遺跡ワッカオイ地点(現 若生C遺跡)で多数発見された墳墓のなかの第20号墓から出土したもので、続縄文時代後半期の代表的なものです。第20号墓は9体の遺体を同時埋葬した合葬墓で、これらの土器は遺体の痕跡に伴って出土しました。

第4号 旧長野商店

長野
指定年月日:1994(平成6)年3月28日
所 在 地:石狩市弁天町30-5(砂丘の風資料館の隣)

 店舗は1894(明治27)年、蔵は明治10年代(推定)に越後国北蒲原郡呉服雑貨商、長野徳太郎によって建てられました。伝統的な町家形式と洋風のアーチ窓という和洋折衷の特徴をもつ、木骨石造というつくりになっています。

第5号 金子家文書

金子家文書
指定年月日:1999(平成11)年4月22日
所   蔵:石狩市教育委員会

 平成10年4月に花畔の金子仲久が石狩市に寄贈した、文書1600点余りのうち、1892(明治25)年から1900(明治33)年までの花畔村会議の記録、村民契約、防風林保護規約など10点が、指定されました。

第6号 旧白鳥番屋

白鳥番屋
指定年月日:1981(昭和56)年12月
所 在 地:石狩市浜益区浜益77

 1899(明治32)年、白鳥浅吉が建設したニシン番屋。建物の内部は入口から左右に居住区が分かれ、左に漁夫、右に網元のスペースが配置されています。1971(昭和46)年、浜益村が開村百年の記念事業の一環でこの番屋を補修し、浜益村郷土資料館として公開を始め(現 はまます郷土資料館)、1981(昭和56)年には浜益村指定文化財に指定されました(現 石狩市指定文化財)。

第7号 石狩弁天社の手水鉢

手水鉢
指定年月日: 2013(平成25)年3月28日
所   蔵:石狩市教育委員会
         石狩市弁天町30-4(砂丘の風資料館)にて展示中

 1789(寛政元)年の年号が刻まれた手水鉢で、江戸本材木町(現 東京都日本橋)の小林店喜兵衛が石狩弁天社に奉納したものです。手水鉢側面には、「奥州南部大畑村」(現 青森県むつ市)とあります。江戸・奥州南部・石狩川河口のつながりは、当時の蝦夷地と本州との木材(蝦夷ヒノキ)交易の販路を示すものと推測されます。

第8号 石狩紅葉山49号遺跡出土の木製品

木製品
指定年月日:2015(平成27)年7月24日
所   蔵:石狩市教育委員会
         
 石狩紅葉山49号遺跡から出土した縄文文化の木製品のうち、18点が指定されました。河川漁にともなう道具(タモ、魚たたき棒、松明)、魚捕獲施設の柵、河川の交通運搬具(櫂)、木材加工や施設設置に必要とされる道具(石斧柄、石斧固定具、横槌、尖り棒)、容器類(舟形容器、柄付容器、漆塗り浅鉢)があります。約4000年前の人々の暮らしと川との関わりを示す重要なものです。

第9号 古潭龍澤寺の鰐口

鰐口
指定年月日:2016(平成28)年10月27日
所 在 地:(1)石狩市厚田区厚田98-2(道の駅石狩 あいろーど厚田2階)
        (2)札幌市厚別区厚別町小野幌53-2(北海道博物館に寄託)

 厚田区古潭龍澤寺に伝えられた鰐口2点。うち1点には「松前城下
村山傳兵衛」「寛政三年亥年三月吉日」、もう1点には「寛政四壬子
歳八月廿日」と刻銘があります。近世より古潭には鰊漁場があり、本
州と北海道を結ぶ交易船の投錨地でもありました。漁業でにぎわう近
世の厚田の歴史にかかわる貴重な資料といえます。
  ※鰐口:社殿や仏堂に吊るされ、参詣者が布で編んだ縄で打ち鳴らすもの。