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石狩紅葉山49号遺跡速報/2002

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年7月31日更新


縄文の川を掘る

version 2.0(平成14年6月20日作成)

カバーをかけて貴重な発見を守っている写真

↑カバーをかけて貴重な発見を見守っているところ

北海道と石狩市の位置関係の地図 紅葉山49号遺跡の地図

石狩紅葉山49号遺跡(いしかりもみじやま49ごういせき)は石狩市花川608番地ほかに所在する遺跡です。遺跡は、縄文時代前期末から中期末、続縄文時代初頭、擦文時代初頭、江戸時代(アイヌ文化)の各時代にまたがる遺物遺構が出土しています。この遺跡は平成7年から北海道が計画した「発寒川遊水地」のため、発掘調査が始められました。当初は4年間前後の調査と見られていましたが、平成9年、縄文時代中期末頃(約4000年前)の遺物・遺構を含む縄文時代の川跡が発見され、このため調査が今年まで延長されてきました。

縄文時代の川跡は、杭を始めとする木製品など有機質の遺物を大量に含む、いわゆる低湿地遺跡です。川跡は約4200年前から約3900年前ごろまで、紅葉山砂丘(旧砂丘)の麓を流れていた発寒川です。昨年、一昨年とこの川跡からは、多数の木製品や遺構が出土して全国的に注目されました。注目の理由は、川の中からサケ漁などに使った可能性の高い杭列(エリ)が多数出土したからです。ここでいうサケとは、秋、道内を中心に川に遡上するシロザケやカラフトマスなどサケ科サケ属の魚を指します。

石狩市は江戸時代初めから石狩川を中心とするサケ漁で名高く、水揚げされ本州に出荷されたサケには「石狩魚」の別名もあったほどです。発寒川も石狩川支流で、江戸時代の千石場所の一つで代表的な鮭川として有名です。この川も含め石狩川流域にいつからサケが上るようになったのかこれまで不明でしたが、49号遺跡の杭列の出土により、4000年前後には上っていた可能性が極めて高くなりました。

遺跡の概要については、すでにホームページ上で紹介しましたが、今回、平成13年度調査で出土した遺物や遺構などを12枚の図で簡単に解説して見ることにします。なお、CGの作成は鈴木信司さん、遺物撮影は西方麻由さんが担当しました。原稿は発掘調査担当者の石橋孝夫が執筆しました。本調査の全体の成果については平成15年3月刊行予定の報告書に掲載しますので、詳しくは報告書をお読みください。

石狩紅葉山49号遺跡の位置と縄文時代の海岸線

遺跡は縄文海進にともなってできた紅葉山砂丘から発寒川のはんらん原にかけて立地しています。発寒川は札幌市との境界となっています。

石狩紅葉山49号遺跡の位置と縄文時代の海岸線の地図
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平成13年遺物分布図

この図は平成12年と平成13年の川跡の中から出土した遺物、遺構(エリ)、自然の流木の出土状態および平成13年の主要な木製品と遺構の一部を示してあります。この図を注意深くみれば、大まかですが杭列(エリ)の位置がわかると思います。エリの大半は下流側(10メートルスケールのある方向)に倒れた状態で出土していますが、「すだて」と仮称したブドウ蔓で編まれた2列のエリは立ったまま出土しました。

デジタルカメラの画像を時計回りに紹介します。最初は石斧柄(カエデが使われています)、丸木舟の櫂、すだて状の杭列を真上から見た状態(ブドウ蔓で直径2センチメートル前後の杭が編まれています)。ヘラ状の木製品(用途は不明です)。舟形容器の出土状態(裏返しで出土)。たも(ヒメヤシャブシという木で作られています)。長さ約1.8メートルあり、網の張られる部分も大きいのでサケ・マス用の可能性が高い。石斧柄(入念な加工がされています)。スネニ(松明の一種です)。ヒグマの足跡(1歳半から2歳)。木製のペンダント?。石斧固定具。漆器(器のとって?)。丸木舟のへ先?(上になっているのが丸木舟の下側で、浮き彫りの一部が見られます)。環状木製品(用途不明の木製品。ハイイヌガヤを編んで円くしています。現場ではリースと呼んでいます)。

平成13年遺物分布図 

石斧固定具

東京都立大学の山田昌久先生のご教示よると石斧のすべり止めに使われる道具だそうです。平成13年はじめて見つかりました。

石斧固定具のイメージ図

スネニ

スネニ(松明の一種)の使用法イメージ図。スネニはこのような使い方で、明かりをとります。アイヌ民族は、この松明を屋内照明やサケ・マス漁に使っています。

スネニ(松明の一種)の使用法イメージ図

舟形容器

舟形容器は現在、保存処理中です。実測図からCGを起こすとこのようになります。
完全な形のものは1点ですが、長さ1メートル近くの大きさがある舟形容器の破片は数点出土しています。

舟形容器のイメージ図

舟形容器使用イメージ

舟形容器は、どんな使われ方をしたのでしょうか。解体したサケ・マスを入れる器だと推定されますが、このイメージでは、最初にとれた魚(初鮭)を入れてお祝いする祝宴に使われるシーンを考えました。

舟形容器使用イメージ図

エリ配置図

この図は出土したエリを下流(南東)から上流にむかって見ています。エリの数は現在、分析中ですが、大まかに数えても5ないし6基あると思われ、またタイプも3つ以上あります。これらエリは同時に存在したわけでなく、川の流れの変化や季節によって何度も作り変えられたと思われる。当時川幅は5メートルから8メートルと推定されます。また、エリは川がゆるやかにカーブしているところに集中しており、意図的にこの場所が選択されたと考えられます。

エリ配置図

上流のエリの復元

上流側にあるエリで、下流側に倒れていたものを直立状態にもどして復元。杭は太いもので直径7センチメートル前後、長さは3メートル近くあるものもあります。最上流のものは両岸に杭が密集して川の中央部に幅2メートルほどの杭がない部分がある。この部分は水深が最も深く、澪(みお)すじかとも思われる。

上流のエリの復元図

すだて出土状態

平成13年の調査では、直径2センチメートル、長さ50センチメートル前後の細い杭が数センチメートル間隔で密集して設置され、長さ約8メートルに渡って続くタイプの杭列が2列調査されました。これらはブドウ蔓で編まれていることもあり、「すだて」と仮称しました。2列の杭列は、いずれも下流側に直径4センチメートル前後で長さも1メートル超える太い支柱とみられる杭が配置されているの特徴です。細杭は大半がヤナギ使われているとみられます。また、上流側のすだてには中央付近に幅80センチメートルほどの開口部があり、筌(うけ)などの設置も推定されます。

すだて坑列の復元図

砂丘地形と旧河川(海水面1メートル上昇)

このCGは、発掘調査後の砂丘の地形とエリの設置されている旧河川に水があると想定して作ったものです。水面の高さは標高1メートルです。この高さだと「すだて」は完全に水没して、上流と下流の杭列が頭をのぞかせます。

砂丘地形と旧河川復元図(海水面1m上昇)

砂丘地形と旧河川(海水面2メートル上昇)

このCGは水面の高さを2メートルに設定しています。低地のほとんどが水没し、円形の住居跡がある舌状の張り出しが残る。

砂丘地形と旧河川復元図(海水面2m上昇)

中柄(なかえ)


中柄(なかえ)のイメージ図1

これは今まで、串状に加工された用途不明の木製品と考えていたものです。しかし、3月に入って検討したところ、一端にスリット状の切れこみがあり銛を装着するための木製の中柄(なかえ)と推定されたものです。銛を装着された中柄はさらに別の柄に装着されて使用されます。このCGは黒曜石製の石銛を装着したイメージ図です。また、これも最近気づいたことですが、中柄タイプの銛の他に一本の木の先端に石銛を装着するタイプの銛もありそうです。なお、改訂前のホームページで木製の銛が出土したように発表していますが遺物の誤認ですので訂正させて頂きます。

中柄(なかえ)のイメージ図2