いしかり博物誌/第58回
第58回石狩の凱旋門

凱旋門といえば、パリの凱旋門が有名ですが、石狩にも「凱旋門」があったとしたら驚くでしょうか。
現在、石狩市教委で整理している高島家文書の中に「凱旋門建築費決算ノ件(明治38年11月25日)」という文書があります。日露戦争が終わり、出征していた兵士を迎えるために本町地区の入口に建てた「凱旋門」の決算書です。同じ高島家文書の「軍隊歓迎之件(明治38年10月30日)」では、この門は「緑門(みどりもん)」とよばれています。緑門とは、骨組みに笹や松の枝などをつけてつくるアーチのことです。写真は、花畔(ばんなぐろ)尋常(じんじょう)高等小学校で行われた「日露戦争凱旋式」ですが、この写真の右側に写っているアーチが「緑門」です。もしかするとこのアーチも「凱旋門」と呼ばれていたかもしれません。
戦勝を記念して門を建て将兵を迎えるという凱旋門の起源は、はるかローマ時代にさかのぼるといいます。橋爪伸也(はしづめしんや)氏によれば、日本では、もともとこのような風習はなかったのですが、明治以降広く行われるようになり、特に日露戦争の際には凱旋門ブームが起こり、日本中に凱旋門が建てられたといいます。
高島家文書の文面
「凱旋門建築費決算ノ件」
過搬各区有志ヨリ寄付ヲ以テ建設ヲナセル凱旋門収支決算左記ノ通リニ有之候条此段御通知候也
(中略)
支出ノ部
金二十五円 凱旋門建設請負金
金二円五十銭 額面
金二十八銭 細引ニ本代
金二円六十銭 国旗大小三枚代
計金三十円三十八銭
(後略)
全国で凱旋門を建て、熱狂的に出征兵士を迎えた一方、日露戦争の戦死者は、約88,000人に上りました。石狩でも10人の方が戦死しています。
今年は、日露戦争が始まってからちょうど100年目に当たりますが、すでに遠くなったこの戦争も忘れてはならないのでしょう。
(工藤義衛 広報いしかり2004年8月号掲載)
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