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いしかり博物誌/第11回

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年7月31日更新


第11回 石狩をおおっていた海-古石狩湾(こいしかりわん)

 昨年の秋、市内で地下からクジラの骨が見つかり、発見した方のご好意で資料としていただけることになりました。
骨はヒゲクジラ類の下あごの部分で長さ2.5メートル、重さは70から80キログラムはあり、汗と泥にまみれて運んできました。
石狩市に博物館が完成した暁には、みなさんに見ていただけることでしょう。
 このように石狩市や札幌市北部の低地部(石狩低地帯)では、工事などで地面を深く掘ったときにクジラの骨や貝の化石が見つかることがあります。
昔はこの場所が海だったという確実な証拠です。 実はおよそ1万年前から6千年前まで、石狩低地帯は古石狩湾と呼ばれる海の底だったのです。
一時期は江別や岩見沢あたりにまで海岸線が入り込み、湾の入口には砂が集まって砂州がのびていました。そのようすは現在のサロマ湖に似ています。
 当時の環境は地下から発見される貝の種類でわかります。
内湾や浅い海で生活するカキ、暖かい海を好むアカニシという貝が見つかることから、古石狩湾は現在の石狩湾よりも暖かい
入江だったということがわかりました。ではその入江はどのようにして生まれ、消えていったのでしょうか。
 古石狩湾ができる前、今から2万年前は氷河時代の中でも特に寒さが厳しい時期でした。
地球の平均気温は現在より5から10度も低く、北アメリカや北ヨーロッパは巨大な氷河に覆われていたのです。
ところがその後、気候はしだいに暖かくなって1万年前までには陸上の大氷河はすっかり溶けてしまいました。
海に流れ込んだ溶け水のために海水面が上昇して低い陸地は水没し、古石狩湾もこの時に誕生しました。 地球規模の気候変動が石狩を海に変えたのです。
 その後、石狩川が運んでくるばく大な量の土砂によって古石狩湾はどんどん埋め立てられていき、ついに石狩の大地ができあがったのです。
この春、本町地区に石狩浜海浜植物保護センターがオープンしましたが、その中の一角にはここでお話しした石狩低地帯の生いたちが描かれた展示もあります。
ぜひご覧になってください。  (志賀健司)

約7千年前の古石狩湾の画像 約7000年前の古石狩湾。石狩市や札幌市の北部がすっぽり海の底でした。湾の入口あたりが現在の石狩市で、砂州は紅葉山砂丘となって市内に残っています。

ヒゲクジラ類の下あご右側の骨の写真
市内の地下から発見されたヒゲクジラ類の下あご右側の骨