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いしかり博物誌/第19回

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年7月31日更新


第19回 火の用心のお札(ふだ)

火の用心の木製の札の写真

 右の写真は木製の札で縦90センチメートル横29センチメートルあります。
 文字はこれで「火用心」と読みます。
 このお札は石狩場所請負人だった村山家に伝えられ、平成11年市に寄贈されたものです。しかし、この資料については詳しいことが不明で、寄贈後の調査でもその経歴についてはまったく不明でした。
 ところが、昨年9月テレビを見ていたら偶然、お札と同じ文字が入った錦絵が放映され、テレビ局に問い合わせたところそれは江戸時代の防火錦絵であることがわかりました。さらに調べてゆくと、寄贈されたお札と同じものが宮城県松島町瑞厳寺(ずいがんじ)にあることが明らかになりました。そのため昨年の暮れ、松島瑞厳寺へ調査に行ってきました。
 瑞厳寺には村山家のお札と同じ札が3枚ありました。お寺の歴史では、このお札は最初、伊達政宗の命令で瑞厳寺落成の前年、慶長13年(1608)に火災除けのため静岡の秋葉山(あきばさん)からもらって来たと伝えられています。現存するお札で年代が明らかなものは、江戸末期で、お寺では定期的に秋葉山からお札を受けていたようです。これらのことから石狩市に寄贈されたお札は、瑞厳寺と同じく秋葉山から授けられた由緒あるものであることが推測されます。

ただ、残念なことに秋葉山ではこのようなお札が当時発行されていたかどうか記録されていないようで、今後さらに調査が必要です。
お札と同じ文字が入った錦絵の画像

 「江戸の華は火事と喧嘩」といわれたようですが、同時に江戸時代は防火意識も高まっていたようです。おそらく、このお札はまじない的な護符の意味と視覚に訴えて注意を呼び起こし、人の心をいましめる役目をもっていたと思われます。
 なお、このお札の複製は本町の運上家ホールにも展示されていますので機会があったらごらんください。   (石橋孝夫)
松島瑞厳寺庫裏の写真  松島瑞厳寺の中にかかるお札の写真