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いしかり博物誌/第1回

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年7月31日更新


第1回 消えゆく5千年前の海岸線

市教育委員会の3人の学芸員が、今月から「いしかり博物誌」と題して石狩にまつわるさまざまな情報を連載します。
質問や新しい情報も受けますのでお寄せください。
第1回目は地質学が専門の志賀健司さんが担当します。

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そろそろ海水浴のシーズン。 天気のいい日に石狩浜でひと泳ぎ、と考えている人も多いことでしょう。
泳ぎ疲れて砂浜で一休みしたら、青い海ばかり見てないでちょっと後ろを振り返ってみてください。
砂浜より数メートル高いくらいの少しでこぼこした丘が、海岸線に沿ってずっと両側に続いているのが見えるはずです。
この「石狩砂丘」は、小樽の銭函から厚田の知津狩まで、海岸線と平行にえんえんと細長く20キロメートルも延びています。
このような砂丘は海岸砂丘と呼ばれるもので、海流や波、風などによって海岸沿いに砂が集まって作られる高まりです。
石狩砂丘の場合は数百から千年くらい前にできたものです。
当時は砂丘の名前の通り砂が丸出しでしたが、今では海岸寄りはハマナスやハマボウフウなどの貴重な海浜植物に、内陸側は柏林に覆われて、緑のベルトを形作っています。
「石狩浜に沿って小樽まで延びる石狩砂丘(厚田から石狩湾新港の方向)の写真


そんな海辺の風景が実は昔、花川地区でも見ることができたのです。 昔と言っても大昔、何千年も前の縄文時代ですが。
当時、石狩や札幌の平野部には「古石狩湾」と呼ばれる浅い海が広がっていたのですが、石狩川が運ぶ莫大な量の土砂によってしだいに埋め立てられていきました。
陸地は江別、札幌からしだいに石狩の方へと拡大し、およそ5千年前にはちょうど花川地区のあたりが海岸線でした。
その時に作られた海岸砂丘が今でも「紅葉山砂丘」という名前で部分的に残っています。
そこには縄文人も生活していたようで、砂丘上にはたくさんの遺跡が見つかって います。

現在の海岸線に沿う石狩砂丘と約5千年前の海岸線を示す紅葉山砂丘の画像


原生林に覆われた小高い紅葉山砂丘は、ほんの30年ほど前まで、手稲前田から花川を通り、高岡丘陵の麓まで続いていたのです
が、その後の宅地開発によって大部分は削り取られて失われてしまいました。 今では自衛隊演習地から屯田墓地まで、藤女子大学周辺などに細切れに残されているくらいです。
まわりにかろうじて残っている砂丘の断片に 気づいたら、現在のハマナス咲く石狩浜の風景を思い浮かべ、5千年の時を越えてみるのもいいのではないでしょうか。
☆古石狩湾については博物館開設準備室だより「エスチュアリ」最新号にも書かれていますので、そちらもお読みください。

花川の市街地に残された紅葉山砂丘の断片。かつての海岸線の証拠(紅南公園)の写真



問合せ 文化財・博物館開設準備室 Tel:0133-72-6123