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いしかり博物誌/第22回

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年7月31日更新


第22回 石狩市で一番古い写真

石狩河口の景(北海道大学蔵)の写真


 今、石狩市では「21世紀に伝える写真集」を編集中で個人や機関が所蔵している写真を調査しているところです。北海道で最も古い写真は、1854年(嘉永(かえい)7年)函館に来たペリー艦隊が撮影した写真だといわれていますが、石狩市で一番古い写真はどんなものでしょうか。今回は石狩市で撮影された明治の写真を紹介してみましょう。

 写真1は「石狩河口ノ景」と呼ばれる明治12年撮影の写真で、本町地区から河口に向って写したものです。この写真は北大図書館などに所蔵され、古くから有名な写真でかなり長い間、市内で一番古い写真という事になっておりました。


 しかし、7年ほど前、先代の八幡(はちまん)神社の宮司(ぐうじ)さんが偶然、「石狩河口ノ景」より、古い写真2を発見しました。
この写真は、燃やして欲しいといわれて預かった書類のなかに紛れてあったものです。写真は幸運なことに裏に撮影の明治10年の年号と主だった人物の名前の書き込みがありました。これは市内で最も古い写真というだけでなく当時の石狩市の人々を知る手がかりとしても貴重なものとなりました。ちなみに写真前列、向かって左端の人物は当時の名主、岩田甚兵衛(いわたじんべい)です。
当時の名主、岩田甚兵衛(いわたじんべい)が写っている明治10年に写された写真(石狩八幡神社蔵)

 また、最近では本町の中島家からは明治30年代かと思われる一枚の写真3が発見されました。この写真は本町地区の旅館前で撮影された集合写真で、50名近い人々が写っています。おそらく明治期の集合写真では最多の人物がいるものと思われます。写真が何を記念して撮影されたか調査中ですが、中島家からでてきたところから考えて俳句結社「尚古社(しょうこしゃ)」の行事の可能性も考えられます。もしかすると秩父事件の伊藤房次郎(ふさじろう)こと井上伝蔵(でんぞう)も写っているのではないかと注目されています。


 紹介した写真はいずれも石狩市の明治の歴史を知る上で大切で、長く伝えていきたいものです。また、このような古い写真でなくとも花川団地などの初期の町並みなどの写真をお持ちでしたらお知らせください。(石橋孝夫)

中島家から発見された写真(中島勝久氏蔵)