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いしかり博物誌/第43回

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年7月31日更新


第43回生振(おやふる)捷水路(おやふるしょうすいろ)、土木遺産に認定 ~近代治水思想のモニュメント~

平成14(2002)年10月、生振捷水路(おやふるしょうすいろ)が、平成14年度の土木学会選奨土木遺産に認定されました。これは日本土木学会が、幕末から昭和20年までに建築された土木構造物の中から、価値の高いものを認定するものです。その認定理由には「北海道初の大規模な治水事業として広大な石狩低地帯の氾濫を防ぎまた湿地を耕作地となしえた」とあります。

捷水路とは蛇行した河川をショートカットして流れをスムーズにする水路のことです。明治初めの石狩川は、ほとんど手付かずの原始河川で、川筋は曲がりくねり、頻繁に洪水を引き起こしていました。石狩川の治水についてはいくつかの方法が検討されましたが、当時主流だった大規模な工事によって川を改造し、洪水を制御するという考え方に基づき、石狩川の河口部から順に直線化する捷水路工事が行われることになりました。

捷水路の流路図
捷水路の流路図(「石狩川治水の曙光」より作図)

その手始めになったのが生振(おやふる)捷水路です。工事は大正7(1918)年に着工され、昭和6(1931)年に完成しました。大量の土木機械が投入された北海道最初で最大の治水工事でした。美登位(びとい)と生振(おやふる)には土木機械の整備工場や建設資材の製造工場が建てられました。現在の生振(おやふる)南7線付近には工事関係者の住む「生振(おやふる)治水市街地」と呼ばれる町が出現し、市街地には住宅や商店だけでなく劇場や酒場もありました。なお、茨戸川とマクンベツ川は、このときの工事によって切り離された本来の石狩川です。

捷水路工事の写真1
捷水路工事の写真1

生振(おやふる)捷水路に始まる石狩川のショートカット工事の効果は大きく、洪水の回数は減り、規模も小さくなりました。さらに排水路としての効果も大きく、石狩川流域で実に9,800ヘクタールの湿地が耕地となりました。

21世紀の現在、大規模な土木工事によって自然を改変し、制御するという考え方は見直され始めています。近代の治水思想の象徴といえる生振(おやふる)捷水路は、十二分にその役割を果たしました。そして今、自然と科学技術がいかに調和を図るべきなのかを問い掛けています。

捷水路工事の写真2
捷水路工事の写真2

(工藤義衛 広報いしかり2003年5月号掲載)