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いしかり博物誌/第51回

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年7月31日更新


第51回「いしかり博物誌」の博物誌

この博物誌も回を重ねて51回となりました。今回は新年号ということもあり、「いしかり博物誌」の博物誌をお送りします。

博物誌は、一般にはあまり知られていない石狩を、読みやすいかたちで紹介し、自分たちの住む街に目を向けてもらおうと、文化財・博物館開設準備室の学芸員3人でスタートしました。現在は石狩浜海浜植物保護センターの内藤さんを加え、4人で書いています。

「いしかり博物誌」を書くということは、ちょうど身近ではあるがあまり知られていない素材を使って料理を作るようなものです。長い歴史と多様な自然のある石狩は、極上の素材ですが、それをどのように料理するかは、それぞれの執筆者たちに任されています。これまでの連載の文末に署名が入っているのはそうした意味があるのです。それでは「料理人」たちのそれぞれの専門とプロフィールをご紹介します。


石橋孝夫(いしばしたかお)

■プロフィール■
昭和49年石狩町に就職。北海道森町生まれ。石狩市教育委員会生涯学習部文化財・博物館開設準備室長、学芸員。
■専門分野■
考古学、石狩史。
■現在の仕事■
いよいよ石狩紅葉山49号遺跡の調査報告書を今年発刊します。このため昨年9月から市内の若葉小学校の一角に整理事務所を設け、作業中です。8年間の発掘調査のまとめですから大変です。
石橋 孝夫(いしばしたかお)氏の写真



工藤義衛(くどうともえ)

■プロフィール■
平成元年採用。岩見沢市生まれのトラ年。石狩市教育委員会生涯学習部文化財・博物館開設準備室主査、学芸員。
■専門分野■
考古学、風俗史。
■石狩の食を代表する「石狩鍋」について調べています。日本に鍋料理は数あれど地名のついた鍋料理はありません。石狩の地名が冠せられた「石狩鍋」は、どのような変遷を経て完成したのか。そも「石狩鍋」とはいかなる料理なのか。そこに石狩の歴史と文化を考えるカギがあるのでは。
工藤 義衛(くどうともえ)氏の写真



志賀健司(しがけんじ)

■プロフィール■
大阪生まれの東京育ち(関西弁は話せません)。石狩市教育委員会生涯学習部文化財・博物館開設準備室、学芸員。
■専門分野■
地球科学、特に古海洋学、古環境学。
■地層や海底の泥と、その中のプランクトンの化石を調べるのが本業です。大学ではオホーツク海や南極海、さらには地球環境を相手にしていました。今は同じ手法を使って、石狩の自然の過去と現在、そして未来を見ようとしています。地層や化石に限らず、海や川、大地や空など広い守備範囲と、「博物館はみんなの研究室」を目指しています。
志賀 健司(しがけんじ)氏の写真



内藤華子(ないとうはなこ)

■プロフィール■
東京都生まれ。石狩市生活環境部石狩浜海浜植物保護センター技師。
■専門分野■
森林生態学、植物生態学。
野鳥観察、動物標本作製術などを現在修業中。
■現在の仕事■
石狩浜~市域の自然環境の情報を、市民の皆さんに伝えるべく、調査とそのまとめ、情報発信に努めています。自然に目を向け、その中での体験をとおして、自然と共生することの大切さを実感してもらおうと、自然観察・体験講座などにも携わっています。
内藤 華子(ないとうはなこ)氏の写真


執筆者一同、皆さんのご意見をお待ちしています。一方通行ではなく、さまざまなやりとりを通じてテーマに広がりが出せればいいなと思います。
何より「博物誌」の目的は、石狩について皆さんに関心を持ってもらうことなのですから。

(工藤義衛 広報いしかり2004年1月号掲載)