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石狩ファイル0065-01(2006年3月31日)

石狩川河口渡船場

いしかりがわかこうとせんば


石狩川の渡船場
石狩川にあった渡船場
石狩川河口渡船場は、石狩川最下流の渡船場です。発祥の時期は明らかではありませんが、安政4年(1857)に場所請負人が渡船場を運営し、渡し賃は無料であったという記録がありますので、それ以前からあったようです。翌5年には石狩役の管轄となり、渡し賃は50文となりました。万延2年(1861)には、「渡船規則」が定められています。

明治に入り、渡船場は、道路の一部として一層重要性が高まりました。運営は当初は開拓使が行い、やがて石狩町営に移管しました。しかし、実際の運航は、個人や会社が請け負う形で行われました。

その後、渡船場の運営は、昭和28年(1953)に石狩町直営となり、同年、札幌−留萌間が国道231号線になったことから昭和30年(1955)には国営渡船場に指定されました。昭和34年(1959)には、それまでの木造船に変わり、鉄製の船が就航して通年運行が可能となり、これに伴って冬の風物詩だった「氷橋」もなくなりました。昭和47年(1972)石狩河口橋の一部が供用され、翌48年、再び町営となりました。そして河口橋の本格運用による利用者の減少に伴って、昭和53年3月31日、20年以上にわたる石狩川渡船の歴史が閉じられました。

(工藤義衛)

※河口渡船場は、「石狩川渡船場」、「石狩渡船場」「石狩渡船」などさまざまな呼び方がありますが、石狩川の他の途船場にも同じ名前が使われることがあることから、ここでは「石狩川河口渡船場」としました。

河口渡船場のほか、旧石狩市には次のような渡船場がありました。
名称運行区間河川名
石狩川河口渡船場船場(ふなば)町−若生(わっかおい)町石狩川
八線渡船場生振(おやふる)八線−茨戸(ばらと)石狩川
花畔(ばんなぐろ)北三線渡船場花畔北三線−生振三線石狩川
花畔市街地渡船場花畔市街−生振零線石狩川
生振基線渡船場美登位(びとい)−生振基線石狩川
茨戸渡船場生振三線南−茨戸石狩川
茨戸渡船場茨戸市街−上花畔発寒(はっさむ)川
小樽内(おたるない)渡船場銭函(ぜにばこ)−小樽内小樽内川
(石狩町郷土研究会,1990)


参考文献


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