石狩の鰊漁
石狩ファイル0056-01(2006年3月31日)
松浦武四郎をはじめ、江戸時代に石狩を訪れた人々はみな、イシカリの産物は鮭一色だと記しています。実際に石狩ではほとんどニシンは獲れません。石狩場所の産物としてニシンが上げられている文献もありますが、これは厚田など石狩以外の地域でとれたものだと考えられます。
もともと、ニシンが沿岸に寄ってくるのは、海岸の岩場で産卵するためで、遠浅の砂浜が広がる石狩には寄りつかないのです。
ニシンに縁の薄い石狩ですが、昭和20年に水産物の統制が強化され、荷揚げする港が集約されたため、留萌方面のニシンが大量に石狩港で荷揚げされたことがあります。
ちなみにニシンが獲れない石狩に「番屋」はあっても「鰊番屋」はありません。鰊番屋は、網元の住居とニシン漁の従事者(いわゆる「ヤン衆」)の宿泊所が一体となったもので、江戸末期以降に建てられました。全体に建物が大きくなり、網元の居住部分は豪華なつくりになっています。これに対し、石狩の「番屋」は、サケ漁の従事者の宿泊所と道具置き場を兼ねたもので、網元の住居は別の場所にあったため、鰊番屋に比べ質素なものとなりました。石狩浜にある鮭料理店「あいはら」は、鮭番屋を改装したもので、往時の鮭番屋の様子を伝えています。
(工藤義衛)
参考文献
- 田中實・前田薫徳(2002)石狩漁業協同組合史.石狩漁業協同組合.
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