石狩の農業(戦後編 昭和20年~40年)

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ページID 1004604  更新日 2025年2月28日

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石狩ファイル0031-01(2005年2月5日)

第二次世界大戦後、日本の農業界には大きな変革がありました。「農地改革」と「農業協同組合法の施行」です。農地改革により石狩町の自作農の数は、改革の前後で大きく変化しました(表1)。農業協同組合法を受けては、昭和23(1948)年、石狩町、石狩町花畔(ばんなぐろ)、石狩町生振(おやふる)の3農業協同組合が誕生しました。昭和24(1949)年には、石狩支庁石狩町農業改良相談所が設置され、農業経営改善、農畜産技術改良、生産性の向上等に大きな成果をあげました。また、昭和23年の石狩町農業共済組合の設立により、農業災害の補償も行われるようになりました。

このように農業環境が整う中、畑作・酪農混合経営をもはや維持することが難しくなっていた農民(石狩の農業―戦前編参照)の起死回生策として、石狩町の各地で造田が進められ、昭和30(1955)年までには、それぞれ、以下のような新田が作られたのです。

南線(みなみせん)地区 昭和24年 250ヘクタール
樽川(たるかわ)地区 昭和25年 356ヘクタール
志美(しび)地区 昭和25年 220ヘクタール
生振地区 昭和21年~27年 572ヘクタール
北生振地区 昭和27年~30年 631ヘクタール

これらの造田のようすや、手掘りで用水路を作り上げた農民たちの苦労は、造田記録映画「砂と闘う」によく描かれています。

その後さらに各地区の造田事業は進められ、昭和39(1964)年には、町域の水稲作付面積が3,370ヘクタールに達しました(表2)。畑と牧草地だった石狩の平野部は、広大な水田となり、道央の穀倉地に生まれ変わったのです。

また、水稲採種事業でも、石狩町は数々の実績をあげて、全道屈指の産地として認められるようになりました。

(石井滋朗)

表1:第二次世界大戦後の農家戸数(単位:戸)
 

自作農

自作兼小作農

小作農

合計

昭和12年

196

228

261

685

昭和23年

592

119

90

801

表2:第二次世界大戦後の水田面積の変遷(単位:ヘクタール)
  水田面積
昭和24年 1087
昭和28年 1447
昭和32年 2707
昭和36年 3310
昭和39年 3370

(表1、2とも 石狩町誌中2より)

参考文献

  • 石狩町(1991)石狩町誌/中2.石狩市.

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電話:0133-62-3711 ファクス:0133-77-5011
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