生振捷水路
石狩ファイル0060-01(2006年3月31日)
絶えず洪水に苦しめられた石狩川流域の開拓者にとって、治水こそ切実な願いでした。住民たちは、明治32(1899)年、石狩川治水期成会を結成して、国や道へ治水事業の推進を訴えました。その後、大正7(1918)年になり、ようやく生振捷水路(捷水路=近道)の工事が開始されました。これは他の4つの捷水路と併せ、石狩川の湾曲蛇行した部分をカットして直線的な流れに修正する大工事でした。
工事の主な経過は次の通りです。
- 大正7年
- 石狩川治水事務所「生振事業所」「生振治水工場」設置 人力掘削
- 大正8年
- 「美登位(びとい)事業所」設置
- 大正9年
- バケット掘削機(エキスカ:写真1)および機関車各7台配置
- 大正10年
- 工事最盛期 掘削機8台、機関車10台 従業員最高700名体制
- 大正11年
- 「美登位工場」設置
-
大正13年
- 掘削機9台、機関車11台
- 昭和2年
- ポンプ式浚渫(しゅんせつ)船「昭和号」(写真2)配置


この間、工事期間中だけの一時的な市街地ができ、商店や床屋、芝居小屋まであって、「生振治水市街地」とよばれました。また、工事の安全を願って、「香取神社」が創建されています。
住民とのトラブルも起こりました。昭和5(1930)年の増水時に、締切堤防(工事現場への河水流入を防ぐ堤防)が、氾濫を恐れる住民たちによって破壊されるという事件が起きたのです。
14年間にわたる工事の後、昭和6(1931)年に、生振捷水路は完成、同8年にはすべての捷水路が完成して、石狩川の流れはスムーズになり、生振の水害が軽減されただけではなく、江別の水位を1メートルも下げる効果をもたらしました。工事の総費用は、3,152,611円(当時米60キログラムが約9円)となっています。
参考文献
- 山地肇治(1992)生振開村百二十年.生振開村百二十年記念事業協賛会.
- 山口甲・品川守・関博之(1996)捷水路.北海道河川防災研究センター.
- 北海道開発局(1993)札幌河川事務所20年史.石狩川開発建設部札幌河川事務所.
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