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石狩ファイル0004-01(2004年7月1日)

石狩の鮭漁(明治から現在まで)

いしかりのさけりょう(めいじからげんざいまで)


石狩市の漁業の中心は、今も昔も鮭漁です。石狩紅葉山49号遺跡の発掘で、縄文時代においても鮭漁を行なっていたことがわかりました。記録が残っている江戸時代以降、エリ漁、地曳網漁、刺し網漁、流し網漁、定置網漁とさまざまな漁法で鮭漁が行われてきています。

明治時代、石狩は鮭漁の黄金期を迎えます。年に百万尾以上の水揚げを記録することも多く、明治15(1872)年の148万尾が最高の水揚げの記録として残っています(図1)。しかし、乱獲と石狩川上流部の開発が原因で、明治の後半からは、漁獲高が減少の一途をたどっていきました。

昭和3(1928)年、北海道でただ1ケ所、石狩川でサケ・マスの刺し網・流し網漁が許可され、零細漁業者にも操業が認められることになりました。それまで石狩の鮭漁は、多額の資金が必要な地引き網漁、定置網漁が中心で、零細な漁家は、鮭漁を行なうことはできませんでした。

昭和7(1932)年北海道は、北千島沿岸部でのサケ・マス流し網漁を許可します。北洋漁業の始まりです。石狩では、翌年、4隻が初めて北洋へ出漁しました。小樽から発動汽船をチャーターしての出漁です。北洋への出漁は、敗戦を期に一時中断しますが、昭和27(1952)年に再開され、昭和51(1976)年の操業を最後に、200海里問題等により、廃止になりました。

昭和31(1956)年、資源保護のため、サケ・マス刺し網・流し網漁が禁止になりました。しかし石狩川河口部の地曳網漁は、孵化用親鮭採取を名目として引き続き行なわれました。昭和30年代、鮭地曳網漁を見ようとする観光客で賑わいましたが、水質汚染が進み、漁獲高の低迷は深刻さを増していきました。昭和45(1970)年を最後に地曳網漁は中止されました。また、定置網漁の落ち込みも甚だしく、昭和49(1974)年には、過去最低の520尾の記録が残っています。しかし、昭和50年代になると、公害対策の規準が整備され、石狩川にもサケが戻り始めたのです。

現在は、石狩湾新港近くの4ケ所で、毎年9月から10月にかけてサケの定置網漁を行っています。また、北海道遺産「石狩川」歴史・文化伝承事業の一環として、平成14(2002)年から「サケまつり」にあわせ、地曳網漁が実施されています。

(山田篤秀)


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