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石狩ファイル0013-01(2004年7月1日)

縄文時代の生活

じょうもんじだいのせいかつ


縄文時代は、約1万3000年前から2000年前までの時期をいいます。時代名の「縄文」とは、この時代使用された土器の表面につけられる紐を転がした縄目文様からできた言葉です。また、日本の歴史のなかで初めて粘土をこねて焼いた器、土器が発明・使用された時代でもあります。

■衣
獣や魚皮を加工したものや、木や植物の皮や繊維を加工したものを着ていたと考えられます。しかし、土器などとはちがって衣服は腐りやすく、発掘してもほとんど出土してきません。したがって、実際には衣服の現物は存在しませんが、わずかに出土する植物の皮などで編まれた編物や土偶などを手がかりにすると、動物の皮や植物を利用した服が推定されます。またその地域の気候条件や季節で、衣服の種類は異なっていたものと考えられます。例えば北海道のような雪の降る地域では、冬には耐寒性や防風性に優れた毛皮が必要で、履物も使用されていたと考えられます。

■食
基本となるものは野や山に住む動物、木の実や野草、川や海の魚や貝などを食べていました。また最近では、採取するだけではなく一部ではソバや豆などを作っていたことがわかってきています。また、クリなどは縄文人がよく実のなる木を大事にしたりするなど、積極的に手を加えたこともわかってきています。
村がどこにあるかは、気候条件によって異なります。例えば砂浜のある海辺の村では、魚、貝などがとれます。また、山に近い村では動物や木の実をたくさんとることができます。石狩紅葉山49号遺跡のようにサケののぼる川のそばにある村ではサケ漁が盛んでした。

■住
住まいは地面を一段低く掘り下げ、床と壁を作り、その上に屋根をのせる「竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)」が一般的な住まいの形です。
住居の形には床と壁を円形につくるものと楕円形、四角などいろいろな形がありますが、家の外観や組み立て方についてはまでわからない点もあります。住居には普通1家族(4、5人程度)ごとに住んでいて、数軒から十数軒で1つの村を作っていたものと考えられます。

(石橋孝夫)


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