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石狩ファイル0026-01(2004年7月20日)

防風林

ぼうふうりん


明治2(1869)年、北海道開拓使の設置後、各地で開拓が始まりました。石狩は、石狩川の沖積作用による広大で平坦な耕地を確保できる反面、春先に強い季節風が吹き荒れる所でした。強風は、開墾地から肥沃な表土を吹き飛ばし、地表の水分や熱を奪い取って作物の生育を阻害しました。明治26(1893)年、樽川(たるかわ)・花畔(ばんなぐろ)・生振(おやふる)原野の「殖民区画」実施の際、開拓農民は「防風林」の設置を要望しました。

自分たちの防風林を大切に守ってきた経緯が、資料に残されています。明治26年の「花畔村村民契約證」(資料1)、また、明治32(1899)年の「防風林保護規約」では防風林守を指名し、盗伐違反者の村八分、防風林内の下草伐刈を禁止するなど、厳しい取決めを行なっています。大正10(1921)年には、農林省告知により「防風保安林」の指定を受け、今も国有保安林として大切に国が維持管理を継続しています。終戦直後の極端に物資不足時代が一番の存亡の危機でした。木材不足から盗伐や、都会から食料のため山菜取りにくる人が多く、防火のためタバコ、マッチを入林者から預かったそうです。また、丘珠(おかだま)空港の飛行機を樹林に隠す格納庫や誘導路も建設されていたと言われています。

まわりの農地が、畑から水田を経て宅地化してしまった現在、地下水の低下は、林床の乾燥化をもたらし、ヤチダモ等が枯れていくそうです。毎年下草刈りを行なっているところでは、林床に直接日光が入るため、ツタウルシの絶好の繁殖地となってしまったと言われます。

住宅地に残された道内でも数少ない貴重な防風林です。求められる機能も大気浄化・騒音防止・野鳥や山野草の観察等環境保全の役割へと変化しました。開拓の息吹を伝え、地域住民を過酷な自然から守り続けてきたこの文化遺産を次の世代へ引き継ぐには、ゴミ投棄や森林火災など、多くの課題が残されています。

(神林 勲)

資料1
花畔村村民契約證(抜粋)

第一条 本村ハ海辺ニ接近シ海風常ニ荒キヲ以ッ
 テ農作物ニ及ホス害甚タシ故ニ禁伐林ノ設ケア
 リ禁伐林ハ村民相互ニ之ヲ監守スベシ若シ伐採
 等ノ違反者ヲ見受ケタルトキハ速ニ其筋ヘ届出
 ヲナスヘキコト…(以下省略)


参考文献


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