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石狩ファイル0039-01(2005年9月25日)
花畔・銭函間運河
ばんなぐろぜにばこかんうんが
明治28(1895)年に着工され、明治30年に完成した花畔(現在の石狩市民図書館付近)と小樽市銭函を結ぶ排水、運送用運河。樽川運河とも呼ばれるほか、札幌市域では山口運河として知られています。
延長14,500m、底幅3.6mで、設計は、札幌農学校出身の「石狩川治水の祖」として知られる岡崎文吉(おかざきぶんきち)博士です。当時、花畔村と樽川(たるかわ)村は、水はけが悪く、開拓民にとって排水路建設が切実な問題でした。開通後は、排水路としては大きな役割を果たしましたが、砂地を開削したため、崩れやすく、水路の維持は困難でした。また、新川・花畔間は水位が足りず、舟の通行は難しかったようです。
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現在の花畔・銭函間運河(石狩市民図書館裏)
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当時の北海道庁長官、北垣国道(きたがきくにみち)は、札幌と小樽(銭函)を運河で結ぶ計画を立て、その一環として花畔・銭函間運河を建設しました。北垣長官は、前任の京都府知事時代に琵琶湖疎水(そすい)という運河を開削して成功を納めており、北海道にもこの手法を当てはめようとしたものと考えられます。石狩市内の運河跡は、市民図書館の裏をはじめ大部分が残されており、現在も見ることができます。
(工藤義衛)
参考文献
- 札幌市(1984)新札幌市史/通史編2.
- 長谷川嗣(1969)親船町他九町三村時代の石狩.
- 河野常吉(1987)北海道植民地状況報文石狩国.
- 北海道の治水技術研究所(1991)石狩川治水の曙.
- 石狩川振興財団(2004)石狩川舟運史.
- 松浦茂樹(1994)総合開発としての琵琶湖疎水事業/川を制した近代技術.
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いしかり砂丘の風資料館