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石狩ファイル0066-01(2006年3月31日)

金子家文書

かねこけもんじょ


金子家文書 金子家文書は、明治21(1888)年5月に北越(新潟県)より旧花畔(ばんなぐろ)村に入植した、初代金子清一郎と二代目清一郎が残した、およそ1600点に及ぶ文書群です。平成10(1998)年4月に子孫の故金子仲久から、石狩市に一括寄贈され、同11(1999)年4月22日に、「村民契約」「防風林保護規約」「(花畔村会議)記録」など、10点が石狩市指定文化財第5号に指定されました。これらは、明治以降の旧花畔村の開拓の歴史を知る上で、貴重な文書です。

金子家文書 この文書には初代が過ごした北越時代のもののほかに、(1)入植後の村民名簿や村民契約、村会規約など、村の自治基盤づくりに関わるもの、(2)防風林、道路、排水路の設置や未開地の貸付や起業願いなど、花畔の開拓に必要な事業への取組みに関わるもの、(3)学校、神社、駐在所、墓地などの公共施設の設置に関わるもの、などがあります。

初代清一郎の花畔村への入植は46歳の時であり、北越時代に培った豊かな経験とそれまで出会った人との絆を備え、人格的にも完成されていた頃でした。

清一郎は村民の信望を得て長期にわたり花畔村総代を勤め、村の開拓と体制づくりに尽力した指導者でした。また清一郎は北海道初の除虫菊栽培を試み成功させ全道に広めています。自らも除虫菊を原料として「のみとり粉」などの製造・販売事業を行う起業家でもありました。

二代目清一郎(旧名:安東岩平)は初代の長女コウの婿養子で、石狩町除虫菊組合長を長く勤めました。コウも愛国婦人会北海道支部長としてそれぞれ指導的立場で社会に貢献しています。

(村山耀一)


参考文献


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