石狩ファイル0112-01(2009年9月15日)
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■開拓以前
開拓以前の高岡は自然林が広がって、わずかに炭焼きが行われている程度でした。
■開拓の始まり
明治18(1885)年、山口県から20戸106人が入植したのが、高岡開拓の始まりです。その後、明治28(1895)年に山口県からの第二陣のほか、徳島、富山、秋田、石川、新潟、青森、福井、愛媛などから前後して入植しました。
■石狩で一番早く米作が始まった
当初はソバ、ムギ、アワ、ヒエなどが栽培されましたが、明治22(1889)年には、竹中與右衛門(よえもん)が石狩で一番早く水稲栽培に成功して、米作も少しずつ行われるようになりました。昭和5(1930)年には、地蔵沢貯水池が作られて水田への水の安定供給が可能になりました。
■昭和期は米と畑作で発展
水稲のほか、コムギ、ソバ、バレイショ、エンバク、ビートなどが作られて、高岡は農業を中心として発展しましたが、昭和45(1970)年の米の生産調整策により、ダイコン、ニンジンなどの野菜栽培も重視されるようになりました。
■施設園芸*が盛んに
近年は課題であった畑地かんがいの実施により、施設園芸が可能になり、現在では施設園芸の生産高が全農業生産高の約半分を占めるようになりました。特に、「いしかりDECHU!!」のブランドで販売されているミニトマトは高い評価を得ています。
■生活環境の充実
高岡の民家に始めて電灯がついたのは昭和19(1944)年で、全戸に点灯したのは昭和36(1961)でした。郵便取扱所は昭和11(1936)年に設置されました。電話が始めて個人宅についたのが昭和22(1947)年、全戸がダイヤル式自動化されたのは昭和52(1977)年でした。現在の高岡地区には、200戸393人が暮らしています(平成20年)。
(石井滋朗)
※施設園芸:ビニールハウスなどを利用して、気温、地温、湿度、土壌水分など栽培環境を調節して野菜や花を栽培する方法。
参考文献