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石狩ファイル0002-01(2004年7月1日)

石狩紅葉山49号遺跡

いしかりもみじやまよんじゅうきゅうごういせき


石狩紅葉山49号遺跡は、昭和47(1972)年の埋蔵文化財一般分布調査の際に発見されました。遺跡名の由来は、紅葉山砂丘のなかで49番目に発見された遺跡という意味です。この遺跡は、縄文時代前期後半から中期後半(5000年前から4000年前)、続縄文時代初頭(2000年前)、擦文時代初頭(800年前)、江戸時代後期(200年前)の各時期の遺物が出土しています。遺跡の立地は、紅葉山砂丘の南側斜面が中心ですが、一部はその内陸側の湿地にも及んでいます。

本遺跡の発掘調査は、平成7年から平成14年の8年間にわたって実施されました。発掘調査の原因は、「発寒川遊水地」を造成するためです。発掘調査面積は合計21,890m^2、遺物の総数は9万点以上にのぼっています。

本遺跡の特徴は、湿地のなかに縄文時代中期の発寒川があり、そのなかから当時の人々が使っていた木製の漁労施設と器などの生活用具が出土することです。このような湿地のなかで水浸け状態になった遺跡は「低湿地遺跡」といいます。全国的にも低湿地遺跡は100ケ所程度と少ない上に、縄文時代中期のものは数ケ所しかありませんので、大変稀少性のある遺跡、ということができます。

さらに発見された漁労施設は国内でも最古級のもので、しかも10ケ所も検出されています。このうち8ケ所が杭などの伐採時期や民俗例からみて、サケ漁に使用されるエリと考えられます。これまでサケの漁労施設とみられるものは2000年前ごろのエリがもっとも古い例で、本遺跡のエリはこれよりもさらに2000年古く、国内最古のサケ漁施設で、縄文時代では初めてのものです。

エリの構造は、川底に打った支柱に木の枝とブドウツルで編んだ柵を立てかけるもので、近世アイヌのサケ漁施設「テシ」とほぼ同じ物と考えられます。また、遺物のなかには近世アイヌが使用した「魚たたき棒」と類似する木製品もあり、4000年前から近世アイヌ同様のサケ漁が行われていた可能性が高いと考えられます。

(石橋孝夫)


参考文献


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