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石狩ファイル0109-01(2009年9月15日)

樽川の歴史

たるかわのれきし


樽川は「小樽内(おたるない)川」が省略されたもので、「小樽内」はアイヌ語の「オタ・オル・ナイ」(砂浜の中の川)に由来しているようです。

■樽川村のはじまり
安政6(1859)年に松浦武四郎が、銭函(ぜにばこ)から東に弘化3(1846)年にはなかった人家が続いていると記しており、樽川にいつ頃から人が住んでいたかがうかがえます。樽川村の開村は明治15(1882)年で、明治18(1885)年には、山口県から43戸と別に12戸が入殖しています。

■石狩町酪農の中心地に
その後、北海道の植民区画により開拓が進められ、明治35(1902)年、花畔(ばんなぐろ)村との合併で花川村に、明治40(1907)年、石狩町との合併で石狩町となりました。明治30年代から堆肥確保や現金収入目的で酪農が行われましたが、大正7(1918)年開設の「極東農場」や南線地区の「町村(まちむら)牧場」の影響もあり益々盛んになって、樽川は石狩町酪農の中心地となりました。

■稲作への転換
昭和20年頃になると、酪農と混合経営されていた畑作が地力の低下で衰退して、稲作への転換が図られました。そして昭和25(1950)年には、421haの水田が造成されて、水田・酪農混合経営が進められました。一方、漁業は、サバ、イワシ、ヒラメ、ニシン、マス、サケ漁などが行われています。

■石狩湾新港建設の影響
昭和50(1975)年、石狩湾新港の管理方式の合意により樽川の一部8.75km2が小樽市に編入され、65戸(農業者30、漁業者22)314人が石狩町域に移転することになりました。

■近年は人口増加
平成になって、道道44号線(手稲石狩線)沿いの樽川地区は平成4(1992)年から平成14(2002)年にかけて順次市街化区域となり、大型店舗の誘致や宅地分譲が行われました。その結果樽川は、石狩市の中で人口が増加(平成15年:3,174人、平成20年:4,323人)している地域となっています。

(石井滋朗)


参考文献


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