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石狩ファイル0113-01(2010年10月31日)

石狩の自然災害

いしかりのしぜんさいがい


石狩は、石狩川の最下流に位置し、川に接する地域が多いことから多くの水害に見舞われてきました。また、日本海に接し季節風や石狩湾小低気圧の影響を受けることから、風雪害も多い地域です。

■水害
近代的な治水工事が効果を上げ始める昭和初期まで、石狩は、春の融雪による増水や夏の大雨により、毎年のように洪水に見舞われていました。弘化4(1847)年の洪水では、川岸にあった元小屋(運上屋)が流失し、現在の弁天歴史公園付近に建て直されました。そのため、石狩場所請負人(うけおいにん)の村山伝次郎は、越後(新潟県)から10名の技術者を雇い入れ、護岸や堤防の修築などを行いました。これが、石狩川の治水の始まりです。
明治に入っても毎年のように水害が発生し、特に明治12(1879)年の洪水は、石狩を幌内(ほろない)炭鉱の積出港とする計画が変更される原因となったと言われています。
明治31(1898)年の大洪水では、浸水家屋159戸、被害田畑430町歩という大きな被害となりました。この水害を契機に「北海道治水調査会」が設けられ本格的に石狩川の治水事業が検討されるようになりました。
大正7(1918)年からは、生振(おやふる)・対雁(ついしかり)間捷水路(しょうすいろ)の工事が着工され、生振部分は昭和6(1931)年に完成し、これ以降石狩生振地区の被害は大きく軽減されました。しかし、その後も昭和7(1932)年、昭和36(1961)年、昭和51(1976)年と大水害が発生しました。昭和56(1981)年の水害では、浸水家屋685戸、冠水田畑1,536haという大被害が生じましたが、これを最後に大きな水害は発生していません。

■地震
記録に残る最も古い地震は、天保5(1834)年1月1日に発生した地震で、「石狩地震」と呼ばれています。河口付近の建物が大きな被害を受け、液状化現象も記録されています。震源地は長く石狩河口付近とされていましたが、近年の調査で、札幌市北部であったことがわかっています。

■雪害
平成8(1996)年1月8日から9日にかけての大雪は、記憶に新しいところですが、これ以外にも小規模のものは、きりがありません。昭和5(1930)年12月30日から31日にかけての猛吹雪では、石狩郵便局逓送人(ていそうにん)の直江増太郎が、花畔(ばんなぐろ)神社付近で馬もろとも凍死しています。昭和戦前期の風雪害については、田中實(1991)「石狩の冬」に詳しく書かれています。

■強風・暴風雨
昭和5(1930)年8月17日、生振を竜巻が襲い、建物の屋根やガラス戸が吹き飛ばされたほか農作物に大きな被害が出ています。また、強風による漁船などの遭難は多く、そのため昭和11(1936)年には、海難事故撲滅、遭難者救助を目的に、「帝国水難救済会石狩救難所」が設けられました。

(工藤義衛)


参考文献


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